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横井也有


『鶉衣』(内津草)

安永2年(1773年)、長谷川三止は也有の執筆で 芭蕉の句碑 を建立。



山路来て何やらゆかしすみれ草

 三止は也有を内津の自宅に招いた。也有は同年8月18日から28日まで10日間内津に遊んだ。

 うつゝの里に住る更幽居三止なるをのこ、予が菴に来る毎に、いかでかの山里にも尋来よかし、あるじせんとそゝのかす事年あり。されど今はたゞ老の鴉の月にうかるゝ心さへ懶(ものうく)て、眠がちなれ、羽をのぶる事もなくて打過しが、此秋いかなりけん、しきりに山里のけしきゆかしく、ゆくりなく思立てかのがりとはんと、葉月中の八日丑三過る比、庵を出たつ。月くまなくすわたりて昼のごとし。也陪なるをのこ、三止にも予にも常にうらなくむつまじけれ、よべより庵に来りて此行に伴へり。



 やゝ人家をなれて、野山のけしき月の光に見渡す、いとあはれ也。山田川・かち川をわたるほど夜猶ふかし。此川々かちわたり也。

 八月の川かさゝぎの橋もなしずさども、あなつめたなどわらひのゝしる声に、我駕よりさしのぞきて、

かち人の蹴あげや駕に露時雨



 ゆくゆく月もかたぶき過て、夜も明なんとす。



麓からしらむ夜あけや蕎麦畑



 鳥居松といふ所にて、わりごやうのものとうでゝよとていこふ。



夜と昼と目色かへて鳥居松

 是より杖曳てかちより行。大泉寺といふ所にいたる。わづかに一里ばかりを歩びて、老の足まだきこうじにたり。又駕にのる。



山がらの出て又篭にもどりけり

 道の側に尻ひやし地蔵といへるあり。霊験あるとて人の信仰するとぞ。



尻ひやし地蔵こゝにいつまでも

   しりやけ猿のこゝろではなし

 坂下・明知・西尾(さいを)などいふ里々をへつゝ行。



駕たてるところどころや蓼の花

 むかふより来れる人の、うちそばて笠ぬぎたるを見れば、内津にすめる試夕なりけり。かれは彼さとに茶をひさぐ者にて、菴へもうとからず訪(とぶら)ひて、年比相しれり。兼てけふ我とふべきあらまし聞えて、三止がかたらひて出せるならし。とばかり行て三止も出むかへり。こゝの名をとへば鞍骨といふよし。むくつけき名のいかなる故ならん。

けふこゝへたづね来むとはくらほねや

   くらげの骨にあふ心地する

と戯れて打つれゆく。此あたりより山路やゝさかしく、峯々左右に近くそびえ、大きなる岩ども道もせにそばだち横たはりて、決々たる渓泉いたる処にきく。



名もにたり蔦の細道うつゝ山



 此日妙見宮に詣す。舎(いへ)よりいとちかし。猶奥の院へ参らむといふに、こよなうさかしき道なめり、老の歩の及ぶまじければ、只やね、と人々いふ。されど阮籍が窮途にこそとゞまらめと笑ひて登る左右大きなる杉どもの枝さしかして、日の影もゝれず。細き道の苔なめらかに石高し。右の方に天狗岩といへる世にしらず大きなる巌そばだてり。只一の山とこそ見しらるれ。かゝる怪しき岩地の国にもをさをさなしとぞ。



這ひのほる蔦もなやむや天狗岩

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