このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
2019年の旅日記
宮島
〜平清盛像〜
5年ぶりに宮島にやってきた。
今日は弥山に上ろうと思うが、宮島ロープウェイ紅葉谷駅まで行かなければならない。
宮島桟橋前の広場に平清盛像があった。
平成26年(2014年)3月20日、建立。
平清盛
(1118年〜1181年)
平安時代末期の武将。保元の乱・平治の乱を経て武士の第一人者となり、1167年には太政大臣に昇りつめた。1179年後白河法皇を幽閉し、翌年には娘・徳子が産んだ安徳天皇を擁立して平氏政権を樹立したが、貴族や寺社などの反発を招き、源頼朝をはじめとする諸国の反平氏勢力の蜂起が広がる中、1181年熱病に倒れ、64歳でその生涯を閉じた。
清盛がいつどのようにして厳島神社を信仰するようになったかは明らかではないが、1146年と1153年に安芸守に任じられ、1160年には嚴島神社に参詣している。以後、清盛の嚴島参詣は記録に明らかなものだけでも十度に及び、1168年には清盛によって現在のような嚴島神社の社殿が造営された。
1164年清盛と平氏一門は法華経などを書写して嚴島神社に奉納した。いわゆる「平家納経」(国宝)である。清盛は「舞楽」を嚴島にもたらし、当時都で盛んに行われていた管絃を奏する遊楽も移したと言われている。これが、現在は嚴島神社の神事として行われている「管絃祭」(旧暦6月17日夜)の始まりである。
御笠浜に渡辺為吉の句碑があった。
花嫁に見せてやりたい安芸なすひ
大鳥居
5年前
は修復中だった。
厳島神社
五重塔
公園口から無料送迎バスで
紅葉谷駅
へ。
バスに乗りきれない人もいた。
明治29年(1896年)4月、
高浜虚子
は夏目漱石の第五高等校赴任を送り、宮島に遊び紅葉谷公園に泊まる。
宮島紅葉谷
部屋に沿ふて船浮めけり桃の花
『五百句時代』
漱石
は
霽月
に贈る句を虚子に托している。
松山より熊本に行く時
虚子 に托して霽月 に贈る〔一句〕
逢はで散る花に涙を濺
(そそ)
げかし
宮島ロープウエイで下る。
無料送迎バスはいっぱいなので、紅葉谷公園を歩いて下る。
五重塔
千畳閣の下から写真を撮ってみた。
天正15年(1587年)、
豊臣秀吉
は九州遠征の道中で宮島に立ち寄り、戦没将士の慰霊のために大経堂(千畳閣)を建立した。秀吉の死により天井の板張りや正面入口など未完成のままだそうだ。
千畳閣は五重塔とともに国の重要文化財に指定されている。
大鳥居
すっかり潮が引いて、人が集まっていた。
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