このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
登別地獄谷
〜花巡り〜
昭和6年(1931年)6月2日、
与謝野寛・晶子
夫妻は地獄谷を見学している。
木草無き地獄の山は紫陽花の終りのころの色したるかな
地獄谷業の煙となしがたし戀のこころもつぶやくものを
「北海遊草」
昭和6年(1929年)6月6日未明、
荻原井泉水
は登別温泉に着いた。
登別温泉に着きしは自動車事故の爲に夜半三時なり、
しばしまどろまんとすれば既に夜はしらしらす。第一
瀧本に泊。六日
闇に木の芽が宿の灯がはや明けてゐる
窓、湯の香の強さ芽ぶいてゐる
つつじが鉢に水に赤くて湯は瀧なし
『海潮音』
登別温泉園地の地獄谷を歩いてみた。
登別地獄谷
薬師如来
登別温泉三大史蹟 薬師如来
文久元年(1861年)、火薬の原料として地獄谷から硫黄を採掘していた南部藩の家臣が、お堂の下から湧いている温泉で目を洗い続けたところ、長年わずらっていた眼病が治ったことから、そのお礼に寄進した石碑が安置されており、今では目の湯の名前で親しまれています。
舞鶴草
随分久し振りである。
七竈
(ななかまど)
花を見るのは初めてだ。
午後、井泉水は地獄谷と湯の沼を一巡。
午後、霧の晴間を見て地獄谷と湯の沼とを一巡す
霧が温泉けむりにはなれて空ゆく鴉
地獄湯けむりとど松の高みには雲か
一せいに地獄のけむりに芽をふく
『海潮音』
地獄谷
昭和7年(1918年)9月1日、
斎藤茂吉
は登別温泉を訪れている。
登別
登別にひと夜やどりて寄りあへる湯治の客のなかに親しむ
登別に飼ひゐし熊を見て居れば山のままなる熊しおもほゆ
『石泉』
谷空木
(たにうつぎ)
北海道は一度に花が咲く。
大湯沼駐車場
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