このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
『奥の細道』
夏山に足駄を拝む首途
(かどで)
哉
明王寺
から修験光明寺跡へ。
芭蕉の句碑がある。
夏山に足駄を拝む首途哉
修験光明寺と云有。そこにまねかれて行者堂を拝す。夏山に足駄を拝む首途哉
「
夏山に足駄を拝む首途哉
」の句碑は
黒羽城址公園
の入り口にもあった。「芭蕉の里くろばね案内図」と照合すると、黒羽城址公園の入り口にあったのも文学碑なのだろう。
光明寺は、文治2年(1186年)に那須与一が阿弥陀仏を勧請して建立したが、その後久しくに廃絶。永正年間(1504〜1521年)津田源弘により修験堂として再興された。
芭蕉が修験光明寺に招かれたのは、4月9日(新暦5月27日)のこと。
一 六日ヨリ九日迄、
雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
『曽良随行日記』
当時は第7代津田源光権大僧都で、妻は鹿子畑
(かのこはた)
左内の娘なので、翠桃が口添えをしたのであろうと書いてあった。
黒羽光明寺行者堂
夏山や首途を拝む高あしだ 翁
同
汗の香に衣ふるはん行者堂
『俳諧書留』
「
汗の香に衣ふるはん行者堂
」は
『雪満呂気』
で曽良の句とする。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は行者堂 に参詣し、句を詠んでいる。
行者堂 に詣
○手に足に玉巻葛や九折
(つづらおり)
[無都遅登理 五]
「
かさねとは八重撫子の名成べし 曾良
」の句碑へ。
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