このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜東北〜


〜「封人の家」〜

  鳴子峡 から国道47号(北羽前街道)で 「尿前の関跡」 を過ぎ、中山峠に入ると山形県。


堺田に重要文化財「旧有路家(ありじけ)住宅」がある。


入り口が土間になっていて、右に馬屋があり、左が座敷になっている。

 大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

 元禄2年(1689年)5月15日(新暦7月1日)から3日間、芭蕉は「封人(ほうじん)の家」に逗留した。この「封人の家」が「旧有路家住宅」。

 創建以来300年以上は経っていると推定されるそうだ。芭蕉が逗留した頃の建物がそのまま残っているわけである。

 「封人」とは国境を守備する役人のこと。有路家は堺田村の世襲庄屋で、国境を守備する役人となり、さらに問屋と旅宿も兼ねていた。

建物の脇に句碑がある。


蚤虱馬の尿(バリ)する枕もと

 昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いている。

 細道の本文、のみしらみ馬の尿する山家に宿つたのは、此の峠と鵜杉の村の間と思はれる、封人の家の封人を註して、國境の役人とあれば、陣森堺田あたりでもあるか、三日の荒天で山中逗留と云ふは、溪川の出水で橋でも落されたか、


養泉寺(尾花沢) へ。

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