このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜
東北
〜
〜田村神社〜
中ノ沢温泉
から母成グリーンラインで国道49号(羽後街道)へ。
郡山市の国道49号沿いに田村神社があった。
延暦(782年〜)年間、征夷大将軍
坂上田村麻呂
は東夷征伐の凱旋の折、鎮守山泰平寺を建立、本尊である大元師明王像を安置。
明治初年、廃仏毀釈に際して田村大元師神社と改称。
ふくしま緑の百選
田村神社の緑
昭和60年6月選定
主唱/福島民報社・福島県緑化推進委員会
自然岩を削った石段を上がると田村神社本殿がある。
元禄2年4月29日(西暦1689年6月16日)、須賀川を立った松尾芭蕉と曽良は、ここ田村神社に参拝している。
当時、田村神社は大元師明王といい、芭蕉らは種々の社宝を見ている。
社宝の一部は散逸したが、現在でも多くの重要文化財が保存されており、『曽良日記』には次のように記されている。
「先大元明王へ参詣。裏門より本実坊へ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行。 村雪(雪村)哥仙絵・讃宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒、五ふく、智證大し并金岡がカケル不動拝ス。探幽ガ大元明王ヲ拝ム。」
郡山西ロータリークラブ
田村神社本殿
郡山市指定重要文化財
「大元師明王」は「大元帥明王
(だいげんすいみょうおう)
」が正しいようだ。真言密教では「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、大元明王と記すこともある。
田村神社東側石段の途中に芭蕉の句碑があった。
風流の初やおくの田植うた
出典は『奥の細道』。
元禄2年(1689年)4月、須賀川の
相良等躬亭
で巻かれた歌仙の発句である。
昭和48年(1973年)10月12日、松尾芭蕉280年記念に建立。
須賀川
へ。
『奥の細道』
〜
東北
〜に戻る。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください