このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
『奥の細道』
〜東北〜
〜安種亭令道寺島彦助宅跡〜
酒田市中町1丁目に安種亭令道寺島彦助宅跡がある。
「暑き日を海に入れたり最上川」は芭蕉句集に「寺島彦助亭」と前書があり、継尾集には「安種亭より袖の裏を見渡して」と前書がある。されば寺島彦助の俳号は安種であることがわかる。
『三千里』
元禄2年(1689年)6月13日、芭蕉は鶴岡から酒田に到着して伊東玄順亭に2泊する。14日、寺島彦助に招かれる。
十四日 寺島彦助亭へ 被
レ
招。俳有。
『曽良随行日記』
安種亭令道寺島彦助宅跡
六月十五日、寺島彦介亭にて
涼しさや海に入
(いれ)
たる最上川
ばせを
月をゆりなす浪のうき海松
(みる)
令道
『雪満呂気』
6月19日、芭蕉は江戸に行く寺嶋彦助に杉風・
鳴海寂照
・越人宛ての手紙を託している。
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被
レ
趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被
レ
遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
『曽良随行日記』
明治40年(1907年)10月26日、河東碧梧桐は寺島彦助について書いている。
芭蕉は
不玉
の家にばかりおったのでなくて、通称彦助という者の宿にも滞留した。寺町のさる家であったとばかりで、これも訊ぬべき資料はないそうなが、「暑き日を海に入れたり最上川」は彦助方の作である。句集に寺島彦介亭という前書がある。
『三千里』
昭和22年(1947年)2月21日、
斎藤茂吉
は
藤井康夫
邸から酒田の街を散策している。
安種亭のことをおもひて現
(うつつ)
なる港に近き道のぼりけり
『白き山』
『奥の細道』
〜東北〜
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