このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』   〜北陸〜


くろべ四十八ヶ瀬

入善町上飯野地内に「明治天皇御野立所」がある。


明治天皇御野立所に「奥の細道記念碑」があった。


奥の細道記念碑   解説

 元禄2年(1689年)3月27日、俳聖芭蕉翁は門人 曽良 を供に旅に出立。江戸深川を起点に、奥羽・北陸を経て、岐阜 大垣 までの道程600里の大旅行を成し遂げた。旅を終えた芭蕉は、元禄7年4月紀行文の執筆を手がけ、日本文学史を代表する傑作『奥の細道』が誕生した。

 左の碑文は平成8年に発見された芭蕉翁自筆筆の中から、元禄2年7月13日(新暦8月27日)入善町を通過した際の記述を復刻したものである。

      おくの細道

   くろべ四十八ヶ瀬とかや数知らぬ川を渡りて那古という浦に出づ

曽良随行日記

市振立。虹立。玉木村、市振ヨリ十四、五丁有。中・後ノ 堺、川有。渡テ越中ノ方、堺村ト云。加賀ノ番所有。出手形入ノ由。泊ニ到テ越中ノ名所少々覚者有。入善ニ至テ馬ナシ。人雇テ荷ヲ持せ、黒部川ヲ越。雨ツヾク時ハ山ノ方へ廻ベシ。橋有。壱リ半ノ廻坂有。昼過、雨為降晴。申ノ下尅、滑河ニ着。宿。暑気甚シ。

富山県内での句は、次の一句のみである。

    わせの香やわけ入右はありそ海

真蹟 越路三吟懐紙より

 芭蕉翁の足跡と業績を広く顕彰するとともに、俳句文化の興隆を願い、第10回サミット「おくの細道」に関係する市町村が集まり、情報交換と友好を結ぶ「奥の細道」入善サミットの開催を記念してこの碑を建立する。

      平成9年7月

入善町

「奥の細道記念碑」の左に芭蕉像があった。


 明和8年(1771年)、加舎白雄は北陸行脚の途上、くろべ四十八ヶ瀬を越える。

立山を左り四十八瀬を越ける日に、

 夏川に我かげ寒き麓哉


   立山をひたり四十八瀬をこ
   ゆる事日に日に

夏川に我かけ寒き麓かな


 安永4年(1775年)7月7日、木兎坊風石は象潟行脚の帰途「くろべ四十八ヶ瀬」を越えている。

   越中なる四十八か瀬 を七夕にこゆる

星今宵一瀬は早きわたり哉
 木兎


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