このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2007年
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平潟港
〜五浦温泉〜
天気が良いので、北茨城の海を見ようと思って出掛けた。
五浦温泉「五浦観光ホテル」のレストラン「椿」で赤次の焼き魚定食を食べる。1,700円。
五浦温泉から平潟漁港に向かう。
途中、「旅館浜庄」の前の駐車場に車を停める。
北に九ノ崎。
南に「茨城県天心記念五浦美術館」が見える。
平潟漁港
昨年
と同じ様な写真になってしまった。
今年も鵜の鳥は見えない。
嘉永5年(1852年)1月23日、吉田松陰は平潟を過ぎて
勿来の関
へ。
平潟に至りて常陸盡く。水戸領は則ち大津に止まり、大津以東は小國の封地參錯す。平潟は棚倉侯松平周防守の領する所たり。關田・上田は為平侯安藤長門守の領する所たり。荒蜂は泉侯本多越中守の領する所たり。
『東北遊日記』
明治39年(1906年)6月28日、
長塚節
は平潟の港に行き3週間滞在。7月19日に帰宅。
七日平の町より平潟の港へかへる途上磐城関田の浜を過ぎて
汐干潟磯のいくりに釣る人は波打ち來くれば足揚
(あげ)
て避けつつ
平潟港 即時
松魚船入江につどひ檣
(ほばしら)
に網建て干せり帆を張るが如し
『青草集』
明治39年(1906年)9月10日、河東碧梧桐は平潟を訪れた。
平潟という処は、海が入り込んでおる岩の狭間に削りつけた町である。岩の崩れない処は、橋をかけて右にひろげ、洞門をあけて左に通ずる。もう町は尽きたかと思うと四五軒の家居がある。洞門がある。また一かたまりの家居に出る。これも平潟の中かと聞くと、もうそこは福島県の九面
(ここつら)
であった。東海道と東山道、常陸と磐城の境である。関東と奥州の分界である。
『三千里』
昭和8年(1933年)、
水原秋桜子
は平潟港を訪れている。
平潟港所見
防波堤裸子むれて鯖を釣る
裸子のみな四五歳の日焼はや
『新樹』
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