このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2005年

柳田國男記念公苑〜利根町〜

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徳満寺 から柳田國男記念公苑へ。


 柳田國男記念公苑は、旧利根町役場跡地約2000㎡の敷地の中に國男が少年時代を過ごした旧小川家を復元してオープン。

少年期を過ごした小川家の母屋


柳田國男記念公苑の由来

 民俗学者の 柳田國男 がまだ松岡姓だった少年の頃、すなわち明治20年、生まれ故郷の兵庫県福崎町をあとに、ここ布川に来て過ごした。小川家には既に兄鼎が離れを借りて医業を営んでいて、そこへ引き取られたのである。利根町が「第二の故郷」と言われる所以である。寄留は3年足らずだったが、その間に見聞したことが、やがて民俗学への開眼につながったと言われている。

 小川家は代々学者だったので、書籍の数はおびただしく、とりわけ國男にとって特記すべきは赤松宗旦著の 『利根川図志』 との出会いであった。この時大いなる興味を持って読んだ國男は、後年この本を校訂復刻している。

明治31年(1898年)4月5日、 島崎藤村 は銚子から布佐に住む柳田国男を訪ねる。

柳田國男


明治44年頃

 國男は天与の資質に恵まれ、常民の暮らしに独自の考察を与え、民俗学と言う新しい分野の学問を樹立し、昭和26年文化勲章を受章したのである。その業績を讃え記念としてこの公苑は設置されたのである。

文化勲章受章


前列左から二人目が柳田國男、その左が 斎藤茂吉 。後列左が武者小路実篤。

利根町教育委員会

 柳田國男記念公苑の管理人に小林一茶のことを聞くと、「利根町立歴史民俗資料館に一茶に詳しい人がいる」と言われたので、行ってみた。

 利根町立歴史民俗資料館で「第21回企画展小林一茶と布川の郷展」の資料を頂いた。

 よくできていたが、利根町には小林一茶に関する資料はほとんど残っていないとのこと。多くの資料は長野県信濃町の 「一茶記念館」 を始めとして、各地から借りてきたものだそうだ。

  応順寺 に小林一茶と親交のあった布川の俳人古田月船の墓があるというので、行ってみる。

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