このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
高松城跡
〜月見櫓〜
高松市玉藻町に玉藻公園(高松城跡)がある。
玉藻公園北側の国道30号(水城通り)沿いに月見櫓があった。
重要文化財
高松城北之丸月見櫓(続櫓)、水手御門、渡櫓
昭和25年(1950年)8月29日重要文化財指定
高松城(玉藻城ともいう)を築城した生駒氏の治世は4代54年間続きましたが、寛永17年(1640年)に出羽の国の矢島
(やしま)
1万石(秋田県由利本庄市矢島町)に移封されました。その後、寛永19年(1642年)松平賴重公(水戸黄門の兄)が東讃岐12万石の領主に封ぜられてこの城に入って以来、明治2年(1869年)まで11代228年間、松平氏の居城であり、日本三大水城
(みずじろ)
の一つに数えられています。
月見櫓は、松平氏入封以後新たに海面を埋立てて作られた郭
(くるわ)
の隅櫓
(すみやぐら)
として延宝4年(1676年)2代賴常
(よりつね)
公の時代に、完成されたものです。ことに渡櫓は生駒氏築城による海手門を改修して建てられました。かつて、これらの櫓の外まで海であって、船からこの水手御門を経て、直ちに城内へ入れるようになっていたところからみて、この櫓は海手出入りの監視防備のための隅櫓であったものとおもわれます。
月見櫓の特色としては、内部に初層から三層の屋根裏まで通じる4主柱が中央に通っていて、それに粱をかけて組立てていることや外壁に装飾的な黒い長押を廻していること、軒は垂木形を塗り出さず一連の大壁としていること、月見櫓より渡櫓に至る一連の建築構造美などが挙げられます。これらの諸建物は松平家から松平公益会に移管され、さらに昭和29年(1954年)1月に高松市が譲り受け、翌年3月から国庫・県費補助を得て解体復元工事に着手し、約1700万円を費やして同32年(1957年)3月に竣工しました。
貞亨2年(1685年)、大淀三千風は高松城下に入る。
○やゝ秋の葉もむれ高松の城下に入。繁花の船津。町家五千余宇有。渡邊尚又奥行に。
○高松や金ふく風に旅肥し
『日本行脚文集』(巻之五)
明和4年(1767年)頃、
与謝蕪村
は高松城下の豪商三倉屋富山家に逗留したようだ。
讃刕高松にしばらく旅やどりしけるに、あるじ夫婦のへだてなきこゝろざしのうれしきに、けふや其家を立出るとて
巨燵出てはやあしもとの野河哉
『句稿屏風』
寛政3年(1791年)4月、
蝶夢
は高松城下の富山氏を訪ねている。
弦打山の下を過ぎ、高松の城下なる富山氏が許を尋ぬるに主も家とうじもひたぶるにとどむるにまかせて、朝よりその家に宿りて、夫婦と共に一座を開く、あくればあるじ名殘をしとて家島
屋嶋
の下まで送り來れり、
『四國に渉る記』
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