このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

霧島高原国民休養地〜碑巡り〜
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霧島市牧園町高千穂の国道223号沿いに霧島高原国民休養地がある。

管理棟の前に 与謝野晶子の歌碑 があった。


牧園へ太鼓踊を見に来よと便り来りぬ瓜を割るとき

 昭和4年(1929年)7月23日、 与謝野鉄幹・晶子 夫妻は霧島の栄之尾温泉を訪れ、5日滞在している。

牧園へ太皷をどりを見に来よと使きたりぬ瓜を割る時

山に見てむら薄より平たきは牧園村にひろがれる森

『霧嶋の歌』

 浪漫主義の歌人。20歳のころか作歌。「みだれ髪」を出して名を高めた。歌集に「舞姫」「常夏」「佐保姫」「春泥集」「夏より秋へ」等がある。この歌は与謝野夫妻 が昭和4年に霧島を訪ねたときに詠んだ173首の中の1首。

牧園町教育委員会

管理棟から上っていくと、、大きな木があった。


木の下に斎藤茂吉の歌碑 があった。


霧島の山のいで湯にあたたまり一夜を寝たり明日さへも寝む

 昭和14年(1939年)10月、 斎藤茂吉 は霧島の 林田温泉 に泊まっている。

   霧島林田温泉

この山にわが著きぬれば暮れかかる櫻島より煙は絶えつ

霧島の山のいで湯にあたたまり一夜を寢たり明日さへも寢む

『のぼり路』

 斎藤茂吉は明治15年(1882年)の生まれ。東大医学部卒。アララギ派の代表的歌人。歌集に「赤光」「あらたま」「つゆじも」。歌論、研究書に「柿本人麿」「伊藤左千夫」「正岡子規」などがある。茂吉は昭和14年10月鹿児島県の招きで霧島を訪れている。

牧園町教育委員会

昭和50年(1975年)2月、建立。

斎藤茂吉記念館によれば、45番目の茂吉歌碑である。

国道沿いに海音寺潮五郎の歌碑があった。


霧島は神山なれば谷々に湧く雲さへも尊とかりけり

海音寺潮五郎の歌碑は初めてである。

 大口市出身の歴史小説家。加治木中学校を出て国学院大学卒業。「天正女合戦」で直木賞、「鷲の歌」で菊池寛賞受賞。昭和52年(1977年)には日本芸術院賞を受けた。「西郷隆盛」「武将列伝」「平将門」等の著作がある。牧園町には加治木中時代の級友に誘われてよく訪れた。

牧園町教育委員会

 「天と地と」は、1969年大河ドラマ「天と地と」の原作。

 「平将門」「風と雲と虹と」は、1976年大河ドラマ「風と雲と虹と」の原作。

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