このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道


北国街道新井宿

大垣市本町に「田中屋せんべい総本家本店」がある。


「田中屋せんべい総本家本店」の前に「美濃路大垣宿脇本陣跡」の碑があった。



大垣宿脇本陣跡

 脇本陣は、本陣の補助的役割を果す宿泊施設である。大垣宿では本町大手北側にあって、もと関ヶ原の戦いで、 大垣城 二の丸を守った七騎の一人、松井喜右衛門によって創立されたといわれてきたが、成立は戸田家の大垣入封に随従した上田家が勤めるようになった元禄の頃である。

 この脇本陣は「本町本陣」とも呼ばれ、間口12間半、奥行き16間半余で、坪数127坪余もの格式ある建物であった。

東海道 ・宮宿と中山道・ 垂井宿 とを結んだ脇往還である。

竹島町に「美濃路大垣宿問屋場跡」の碑があった。




問屋場跡

 宿場において人馬の継立の業務を行った所が問屋場である。ここへは問屋役をはじめ、その助役の年寄、事務担当の帳付、その他、馬指や人馬指が詰めていた。

 大垣宿の問屋場は本町にあったが、寛文の頃にここ竹島町に移った。幕末には問屋役は飯沼家が本陣役と兼帯して勤めていた。

大垣宿本陣跡 へ。

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