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私の旅日記
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2008年
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辺津宮
〜江島弁財天〜
中津宮
から坂を下って辺津宮へ。
江島神社辺津宮
江島神社
当神社は三宮から成り、奥津宮に多紀理毘売命
(たぎりひめのみこと)
、中津宮に市寸島比売命
(いちきしまひめのみこと)
、邊津宮に田寸津比売命
(たぎつひめのみこと)
をお祀りする。
社伝の「江島縁起」等は欽明天皇13年(552年)の創建と伝える。『吾妻鏡』には寿永元年(1182年)、
源頼朝
は祈願のため文覚上人をしてお岩屋に弁財天を勧請、江島明神と称えて参詣し幕府の祈願所とした。
以降朝武の信仰を集めたが、江戸時代に至り庶民の間に信仰が広がり江島詣が盛んとなり、江島寺金亀山与願寺とも称し、岩本院上之坊下之坊があった。
徳川家康
はお岩屋に詣で社領を寄進している。
明治初年の神仏分離により、江島神社と号した。
当社は江島弁財天として天下に名高く、日本三大弁財天の1つであり、財宝招福・学芸上達・夫婦和合・交通安全等の神として広く信仰されている。弁財天御尊像は邊津宮境内奉安殿にお祀りしてある。
養和2年5月27日、改元。「寿永元年」は養和2年が正しい。
4月5日 乙巳
これ高尾の文覺上人、武衛の御願を祈らんが為、大弁才天をこの島に勧請し奉る。供養法を始行するの間、故に以て監臨せしめ給ふ。密かにこの事を議す。鎮守府将軍藤原秀衡を調伏せんが為なりと。今日即ち鳥居を立てらる。
『吾妻鏡』(養和2年)
江島弁財天
あと2つの日本三大弁財天は、竹生島と
厳島
。
東京都台東区の
浅草弁天
と千葉県柏市の
布施弁天
とともに関東三弁天のひとつ。
弁天橋を見下ろす。
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