このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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真鶴岬
〜与謝野晶子の歌碑〜
真鶴岬に町営「ケープ真鶴」がある。
治承4年(1180年)8月23日、
源頼朝
は相州
石橋山の合戦
に敗れ、28日同国土肥郷真鶴崎を小舟で脱出、29日
安房国
へ渡航。
8月28日 戊申
武衛は土肥眞名鶴崎より乗船し、安房の国の方に赴き給ふ。實平土肥の住人貞恒に仰せ、小舟を粧ふと。
『吾妻鏡』(治承4年)
与謝野晶子の歌碑
があった。
わが立てる真鶴崎が二つにす相模の海と伊豆のしら波
昭和7年(1932年)正月、
与謝野鉄幹・晶子
は真鶴を訪れた。
12月なのにカンナが咲いていた。
水仙も咲いていた。
三ツ石を見下ろす。
昭和31年(1956年)1月7日、
水原秋桜子
は真鶴崎を訪れている。
真鶴崎にて
真鶴崎ごうごうとよむ東風なりけり
鰤漁の荒るゝ沖見ゆ港口
『玄魚』
三ツ石海岸を歩く。
平成16年(2004年)5月、小田急真鶴ケープパレス撤退。
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