このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
足摺岬
〜中浜万次郎の銅像〜
足摺岬灯台
から足摺岬観光案内所へ。
天明2年(1782年)、
大黒屋光太夫
は遠州灘にて遭難、翌年ロシアに漂着。
寛政4年(1792年)、大黒屋光太夫帰国。
文政11年(1828年)、78歳で江戸にて没した。
足摺岬観光案内所の前に中浜万次郎の銅像があった。
ジョン万次郎
中浜万次郎〔ジョン・万次郎1827.1.27〜1898.11.12〕。近代日本初の国際人。中ノ浜出身。1841年出漁中に遭難するが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアヘーブンで学校教育をうけるとともに見聞を広める。1851年帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には遺米使節の一員に加えられるなど、開国に向けて大役を果たす。そして1898年71歳の生涯を閉じるが、広い視野に立ち、日米交流の礎を築いた万次郎の功績は、国際化時代の今日ますます意義深いものとなっている。また、土佐清水市は1987年12月、万次郎の縁でマサチューセッツ州フェアヘーブン、ニューベッドフォードと姉妹都市を結び友好交流を深めている。
昭和38年(1963)10月28日、水原秋桜子 は足摺岬を訪れている。
水原秋桜子の句碑があるというので、行ってみた。
岩は皆渦潮白し十三夜
第16句集『晩華』所載の句。
昭和39年(1964年)3月、土佐清水市建立。
『秋櫻子句碑巡礼』(久野治)によれば、第14番目の
秋桜子句碑
である。
足摺岬展望台へ。
足摺岬灯台
足摺岬展望台
懸崖の根釣のすがる道ぞなき
根釣いま落暉のもゆる中に立つ
『晩華』
天狗の鼻
足摺岬に句碑を建つるとて
岩は皆渦潮しろし十三夜
『晩華』
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