このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2011年
〜
大黒屋光太夫の像
〜佐佐木信綱〜
近鉄名古屋線伊勢若松駅を出ると、大黒屋光太夫の像があった。
大黒屋光太夫の像
昭和62年(1987年)6月1日、若松小学校創立100周年記念に建立。
大黒屋光太夫は、宝暦元年(1751年)伊勢の国南若松村(現在の鈴鹿市若松東)に生まれ、天明2年(1782年)に遠州灘にて遭難、翌年ロシアに漂着、10年後の寛政4年(1792年)に帰国した。その見聞体験は『北槎聞略』という書物に残されており、文政11年(1828年)78歳で江戸にて没した。本像は、鈴鹿市出身の稲垣克次氏の制作である。
台座側面に刻まれている歌
海ほからにまつ原青しこの浦ゆ船出せし人のくしき一生 信綱
は、鈴鹿市が生んだ歌人で、第1回文化勲章受章の
佐佐木信綱
文学博士が、昭和3年(1928年)に若松を訪ねた時、光太夫に思いをはせ詠まれた。
大黒屋光太夫顕彰会
緑芳寺
が光太夫生家亀屋の菩提寺である。
天保12年(1841年)、
中浜万次郎
遭難。
嘉永4年(1851年)、中浜万次郎帰国。
明治31年(1898年)、71歳で没。
「私の旅日記」
〜
2011年
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください