このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

後藤象二郎生誕之地
〜武市瑞山先生殉節之地〜
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とさでん交通伊野線「大橋通」下車。

高知市与力町に聖泉幼稚園がある。

聖泉幼稚園の前に「後藤象二郎生誕之地」の碑があった。


後藤象二郎(1838〜1897)

 天保9年3月19日この地に誕生。義叔父執政吉田東洋に学び、藩政に抜擢される。第15代藩主山内豊信(容堂)の信任を受け、公武合体論を唱え、土佐勤王党と対立、武市瑞山らを断獄する。のち 坂本龍馬 と接し、容堂公にすすめて、大政奉還の大業を成す。

 明治維新後は竹馬の友、板垣退助と共に自由民権運動を推進、在野勢力の大同団結に指導者の光芒を放つ。伯爵。

高知市本町の高野寺の道路沿いに 「板垣退助先生生誕之地」の碑 がある。

高知市帯屋町に四国銀行帯屋町支店がある。

四国銀行帯屋町支店の前に「武市瑞山先生殉節之地」の碑があった。


武市小楯通称は半平太瑞山と号す文政十二年九月長岡郡吹井村に生まれる天資英偉明秀人格一世に高し幕末多難際に土佐勤王党を率い国事に奔走す後吉田東洋暗殺に連座し慶應元年閏五月十一日この地に割腹す時に年三十有七

撰文 高知市文化財保護協議会

田野町の 福田寺 に「武市半平太先生像」がある。



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