このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
土佐国分寺
〜碑巡り〜
高知龍馬空港から土佐国分寺へ。
摩尼山宝蔵院
真言宗智山派
の寺である。
土佐国分寺
天平13年聖武天皇の勅願により僧
行基
が創建した官寺で、当時は方六町の寺域を有し七堂伽藍が完備されていた。その後弘法大師の中興により
四国第29番札所
となる。
鎌倉時代から戦国時代にかけ幾度もの戦禍や災害を受けて荒廃したが、室町時代末期に長宗我部氏の庇護を承け復興。特に元親が永禄元年金堂を再建し現在に至る。山内藩政時代にも寺領を与えられ、建物の造営修復は藩の援護を得て行われていた。
金堂(本堂)と木造薬師如来像二体並びに梵鐘は国の重要文化財。
また創建当時の土塁が残る寺域は国の史跡に指定されている。
金堂
金堂
(重要文化財)
桁行五間 梁間六間 単層四柱造柿葺
本尊 千手観世音菩薩
金堂は七堂伽藍の中心となる建物で、本尊を安置するお堂。現在の建物は永禄元年(1558年)に長宗我部元親・元親親子により創建時の金堂跡に再建されたもので、柿葺
(こけらぶき)
と天平時代の建物に模した寄棟造りに特徴がある。
又、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ吹寄垂木等に室町時代の特色がうかがわれる。明治37年に国の特別保護建造物に指定され現在に至る。
中門
中門を入ると、高木晴子の句碑があった。
来し方を行く方を草朧かな
高木晴子は
高浜虚子
の五女。高浜年尾の妹。
光明殿
左手に高浜年尾の句碑があった。
お遍路の静かに去って行く桜
昭和19年(1944年)4月に詠まれた句。
高浜年尾は
高浜虚子
の長男。
平成7年(1995年)2月19日、建立。
庭園に稲畑汀子の句碑があった。
晴れてゆく早さに梅の匂い立つ
稲畑汀子は高浜年尾の次女。
年尾句碑除幕式の時に詠まれた句である。
平成20年(2008年)6月12日、建立。
南国市の
紀貫之邸跡
に高浜虚子の句碑がある。
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