このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

﨑津教会〜ハルブ神父〜
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天草キリシタン館 から国道266号で峠を越え、﨑津天主堂へ。

勝海舟宿泊所

安政2年(1857年)10月、練習艦「観光丸」の艦長として天草に来航した勝海舟は、富岡(苓北町)などをへて崎津に寄港。現在の崎津教会の場所にあった庄屋・吉田家に宿泊した。

﨑津教会(天主堂)

弾圧をへて、信仰を守ったキリシタン信者のより所として明治16年(1883年)に最初の教会が建った。現在の教会は、ハルブ司祭が昭和9年(1934年)にゴシック建築様式で改築した。

ハルブ神父碑


オーグスチンハルブ神父の生涯

1864・11・23、フランス・セエズに生る
1888・9・22、司祭に叙階
1889・9・13、来日す
1927、﨑津教会に赴任す
1934、當教会を建立す
1945・1・25、56年間の宣教生活を終え當地で帰天す

﨑津教会


﨑津カトリック教会(天主堂)の由来

 﨑津教会は、アルメイダ神父により永禄12年(1569年)2月23日に建てられ、ここを中心にして、キリスト教は天草に栄えたのでした。然しながら、寛永15年(1638年)の禁教令が天草で実施されてから﨑津では特に激しい迫害の嵐が吹きあれました。

 公然と信仰を明らかにすることを禁じられたキリスト教徒は、隠れキリシタンになり、ひそかに真夜中に一緒に集まって神を礼拝し、お祈りを献げていました。隠れキリシタン達は、生命や財産の危険をもかえりみず信仰こそ何物にも勝る宝であり、幸福の源泉であると 確く信じていました。この宝を子孫に伝えるために7人の村人を先生として選び、「水方(みずかた)」と名付けました。此の名は水方の仕事の一つである洗礼の儀式から取られたものです。即ち、洗礼の儀式では魂の浄めのシンボルとして、水を注ぐことが必要とされるからです。

 キリスト教を狩り出すために、踏絵が毎年行われました。

 明治5年(1872年)にキリシタン禁制の高札が廃止されるや、神父は、240年ぶりに再び﨑津に帰ってきて、隠れキリシタンから熱烈な歓迎をうけました。かくして2世紀半の間 文字通り隠れて守り抜いた先祖代々の信仰を 公に行うことの出来る新しい時代が訪れたのです。此の教会は明治以来3度建て直され、現在のものは長崎の鉄川与助の施工によるゴジック風建築であります。正面の祭壇のある場所で迫害時代に厳しい踏絵が毎年行われていました。現在この教会﨑津の400名のキリシタン信者の祈りの家として、毎日使用されます。わざわざ訪れて下さった皆様もどうぞ御自由にお入り下さいませ。(尚神聖な場所ですので お静かにお祈り下さいます様お願いします。

 世界に平和が訪れるよう 神に祈りましょう。

 自分自身の言葉でお祈り下さっても、教会の入口に置いてある、祈りのしおりを使ってお祈り下さっても結構です。平和の願いをこめて神に祈る時、もはやあなた方は単なるキリシタンの夢の島への歴史の探究者ではありません。平和な世界の協力者、平和のための巡礼者となられるのです。

キリストは次のように約束なさいました。
   「平和のために働く人は幸いである
      彼らは神の子らと呼ばれるのであろう。」

昭和40年(1965年)11月16日、 水原秋桜子 は九州の旅に出る。

   崎津港 二句

林檣と天主堂見ゆ雨の百舌鳥

潮に映る十字架(クルス)の前に浮ぶ鳰

残菊や昇天の霊二十六

『殉教』

崎津資料館「みなと屋」もあって、無料だった。

静かな集落で、よかった。

大江天主堂 へ。

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