このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
新宮家屋敷
〜西南の役隆盛居宅跡〜
人吉市土手町に新宮家屋敷がある。
堀合門
この門は、明治初期の廃藩置県で
人吉城
の建物が取りこわされた際、相良家の一族であった新宮氏が拝領し、自宅の門としてここに移したものである。
元人吉城の御館の水の手側入口にあったもので、堀合門と呼ばれていた。
現存する唯一の人吉城の建造物である。
人吉市重要文化財
西南の役隆盛居宅跡(新宮家屋敷)
西南の役
で、
西郷隆盛
が熊本に敗れて、人吉で再起を図るべく、明治10年4月27日、そまつな竹の篭にゆられ、椎葉の山中を移動しつづけ、かろうじて最初に落ちついたところ。西郷は徒歩で、一隊の兵が人垣を作って、人目からへだてられる様にして、
永国寺
の山門の前を通りすぎ、人吉隊の小隊長であった新宮嘉善に案内されて、ここに休息した。新宮嘉善は、害意がないことを見せるため、自分も家族も、親戚に移って、西郷に提供したという。一方、官軍の将となった新宮簡
(たけま)
は、村山から、わが家であるこの屋敷を砲撃せしめた。
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