このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
永国寺
〜西南の役薩軍本陣跡〜
人吉市土手町に永国寺という寺がある。
永国寺仁王門
西南の役
薩軍本陣跡(永国寺)
明治10年2月21日、
西郷隆盛
は、熊本に向かう途中、諸将と共に、人吉に1泊、球磨川を下って、
八代
に向ったが、熊本
田原坂
に敗れ、4月27日、再び人吉に至り、ここ永国寺を本陣とした。西郷は、一切の作戦を村田、桐野等、諸将にまかせ、時折、このあたりを散策し、時には、うさぎを狩り、或いは球磨川に漁したという。かくて官軍が、人吉に迫るに及び、5月29、33日間とどまった本陣を去り、狙撃隊に守られ大畑
(おこば)
、加久藤峠を越え、小林に向った。又、八代南郊の戦いで傷ついた、人吉藩士、別府晋介等は、ここで治療をうけており、臨時病院ともなった。
永国寺本堂
本尊は、釈迦如来で、
曹洞宗
蓬莱山永国寺という。第九代相良前続公が開基、一徑永就和尚が開山し、寺院の創立は応永15年(1408年)とも応永17年ともいい、第2代住職實底和尚の時である。
明治10年西南の役の際、約1ヶ月程西郷軍の本営となったところでもある。
寺宝として有名な幽霊の絵がある。
人吉市教育委員会
西郷隆盛先生之遺蹟
西郷本陣跡
明治10年、田原坂 で敗れた西郷隆盛は八代より当地に逃れ、古くより要害の地である人吉に拠って官軍を防ごうとした。
当時既に繊月城(
人吉城
)は取り壊されていたので、当永国寺に本営を設け、桐野利秋ら参謀諸将が日夜、策を練った。
4月27日に人吉へ来てより33日間官軍を防いだが、遂に5月29日西郷隆盛は加久藤峠を越え小林へと逃れた。その時に、当寺も尽く灰燼に帰した。寺宝等もあらかた燃えてしまったが、その時に焼け残った一つが当寺の幽霊の掛軸である。この碑は西郷本営跡を記念して海軍大将山本善輔が揮毫したものである。
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