このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
東林寺
〜与謝野晶子の歌碑〜
人吉市浪床町の高台に
東林寺
(HP)という寺がある。
巨盧山東林寺
黄檗宗
の寺である。
由 緒
開山は人吉市永野町出身の天瑞道恩禅師。寛永16年(1639年)12才で曹洞宗永国寺末延命寺存孝和尚に就き得度。20余才で上洛。信州飯田村の正永寺を董し、伊吹山岩窟の苦行。のち京都宇治の黄檗山
万福寺
(黄檗宗の大本山で宗祖は明の渡来僧隠元隆氏キ
(※「王」+「奇」)
禅師。創建は四代将軍家綱公)の四代獨湛性瑩禅師に参じ印可を得。寛文12年(1672年)帰省。永国寺鑑司を経て錦町新宮寺再興。延宝7年(1679年)藩主・頼喬公より此の銅山の景勝地5町余を賜り中国盧山の東林寺に模して起工。天和2年(1682年)巨蘆山東林寺として堂塔伽藍が落慶。黄檗の地方本山として栄え、全盛期には薩摩の溝辺にまで及ぶ末寺27ヶ寺を有し、その一つ心珠院は天瑞端に就き得度し、相良二十一代頼寛公の令室千姫の開基小川の三宝寺鉄眼禅師と共に肥後の二傑と称された。天瑞は後世岡原に福元寺を建立隠居した。寛保2年(1742年)と文久2年(1862年)の祝融、明治元年(1868年)の廃佛毀釈、同10年の
西南役
等で壊滅的焼失。現存の本堂兼庫裡の建設は役後政府の御下賜金の榮に浴したものである。
東林寺に
与謝野晶子の歌碑
があった。
橋を越え中川原越え橋を越え先づ見んとする球磨の禅院
平成18年(2006年)、建立。川越郁子揮毫。
昭和7年8月12日、
与謝野晶子
は當寺を開山した。禅僧(天瑞和尚)が王政復古を祈願して書いた小石群に深い関心を持ち、ここを訪れ左記の歌を詠まれました。
桜がきれいだった。
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