このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
虚子の句碑
千二百七十歩なり露の橋
新潟駅から国道7号で萬代橋を渡る。
明治40年(1907年)11月3日、河東碧梧桐は新潟に着き、萬代橋を渡る。
万代橋はこれで五度渡るのじゃと思う。始めは新発田から来た時であった。合羽の前を半分下ろして、屈むように外を見ながら、別に説明する人もないので、信濃川はこれだ、万代橋はこれに違いないと思うた。北上、米代、御物、最上川などに比して更に広い大きい感じであった。前に行き詰った人車が沢山あるので、橋板をゴトゴト鳴らしながら、車はあるいていた。右の方が河口か、左の方が川尻かも知らずに過ぎて、ただ左手の方に撒き散らした小船が漬簗
(つけやな)
の網をたぐっているのを見ておるうちに、橋は尽きた。
『三千里』
大正13年(1924年)9月11日、
高浜虚子
は萬代橋を渡ってみる。
新潟、萬代橋を渡り見る
千二百七十歩なり露の橋
九月十一日、萬代橋を渡り見る。
『五百句時代』
萬代橋を渡ると、「ホテルオークラ」がある。
「ホテルオークラ」の前に虚子の句碑があった。
千二百七十歩なり露の橋 虚子
碑陰
大正13年9月、虚子先生を新潟に迎へたる時の先生の句を新萬代橋竣工の昭和4年に御揮毫くだされしもの
昭和4年11月 みずほ記
昭和53年深秋 新潟俳句会建立
虚子の句碑
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