このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
長州藩邸跡
〜桂小五郎の像〜
京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」下車。
京都市役所の東に「京都ホテルオークラ」がある。
「長州屋敷迹」である。
高瀬川一之舟入の南側から御池通までの、河原町通から木屋町通に至る一帯は、江戸時代初期に長州藩(山口県)毛利氏の藩邸が置かれた所で、幕末維新期の重要な政治的拠点となった。
藩邸は、初め南北2か所に分かれ、北側屋敷は表口39間(約70メートル)、裏行31間(約56メートル)、南側屋敷は表口30間(約54メートル)、裏行8間(約14メートル)に及んだ。
元治元年(1864年)の蛤御門の変(禁門の変)で会津、薩摩を中心とする朝廷、幕府側に敗れた長州藩は、自らこの邸内に火を放ち、京都を逃れた。この放火で藩邸は焼失したが市中に延焼することはなかった。
たちまち市中に延焼し、数日間にわたって燃え続けたともいう。
河原町通に面して桂小五郎像が立っていた。
明治維新を成し遂げ近代日本の礎を築いた(木戸孝允1833〜1877)は長州藩士、
吉田松陰
門下生。
長州屋敷跡の当所にその像を建立し、事績を顕彰する。
元治元年(1864年)6月5日、木戸孝允は
「池田屋騒動」
で池田屋裏の対州藩邸に寄っていたので難を逃れたという。
木戸孝允の妹治子の子が木戸孝正、木戸孝正の長男が木戸幸一である。
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