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私の旅日記
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2013年
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八雲神社
〜芭蕉の句碑〜
石巻市鹿又字町浦の旧北上川沿いに八雲神社がある。
八雲神社
主祭神は
須佐之男命
。
元和元年(1615年)、牛頭天王社として建立。
明治3年(1870年)、「八雲神社」と称す。
社殿の右手に
芭蕉の句碑
があった。
川上とこの川下や月の友
出典は
『続猿蓑』
。
元禄6年(1693年)秋、深川の
五本松
で詠まれた句。
文政9年(1826年)8月15日、橘元良社中建立。
石段を上がると旧北上川
旧北上川に架かる天王橋
船渡(河南町鹿又字町浦)
本町正保元年(1644年)横町延宝元年(1673年)に宿場町として栄える。
「船渡」は伊達藩御塩蔵場に搬入・搬出する船着場、遠くは牡鹿郡桜浦・指浜・石浜方面よりの搬入もあり、常に高瀬舟、ヒラタ舟
(※「ヒラタ」=「舟」+「帶」)
が稼働し賑わった。
元禄2年(1689)5月1日(陽暦6月27日)、芭蕉は
石巻
をを立ち、宿を借りた「四兵へ」「今一人」と柳津まで同道、
登米
へ。
一 十一日 天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵へ、今一人、気仙へ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻二リ、鹿ノ股。飯野川(一リ余渡有。三リニ遠し。此間、山ノアイ、長キ沼有)。矢内津(一リ半、此間ニ渡し二ツ有)。曇。戸いま(伊達大蔵・検断庄左衛門)、儀左衛門宿不借、仍検断告テ宿ス。
『曽良随行日記』
天明6年(1786年)8月14日、
菅江真澄
は鹿股から石巻に向かった。
十四日 朝とく風出て、ふり来ければ、雨つゝみしていでたり。みちいささか出て、鹿股
(カノマタ)
にくれば、有隣は石の巻てふ処にと聞へぬれば、いで其やとて、しばしありてこゝを出たり、籬のとまで萩のこぼれ出で、おかしくさきたれば、かのまたといふことをよめる。
あかさりし此萩のとはいつるともなれしおしかのまたやとひこん
『はしわのわかば 続』
(仮題)
嘉永5年(1852年)3月16日、吉田松陰は北上川の分岐について書いている。
飯野川に至る、大立目下野の采地なり、祿千二百石。北上川は河股に至り分れて兩岐を爲す。西するものは直ちに石巻港に注ぎ、而して其の東するものは即ち飯野川にして氣仙に注ぎ、港を乙巴と曰ふ。舟にて飯野の渡を濟り、又舟場の渡を濟りて石巻に入る。
『東北遊日記』
平成17年(2005年)4月1日、河南町は雄勝町・河北町・北上町・桃生町・牡鹿町と共に石巻市と合併し、石巻市の一部となった。
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