このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2005年
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西行戻しの松公園
〜松島湾〜
雄島
から松島パノラマラインを行き、西行戻しの松公園へ。
西行戻しの松
どれが「西行戻しの松」なのか、よく分からない。
西行戻しの松
歌人
西行
(1118〜1190)が松島を訪れようとこの地の松の傍らで休み、松島明神である老人と出会い「あこぎ」の意味を尋ねた。老人は古い和歌を引いて答えた。西行はそれが分からず、恥じてここから引き返した。
また、山王権現の化身である鎌を持った童子に会い、仕事は何かと問うと、「冬ほきて夏枯れ草を刈りに行く」と答えた。西行はその意味が分からなかった。童子は才人が多い霊場松島を訪れると恥をさらすであろうとさとしたので、西行は恐れてこの地から去ったという伝説があり、一帯を西行戻しの松という。
西行に関するこのような伝説は各地にあり、古くから語り継がれている。
平成12年3月
松島町教育委員会
よく分からない話である。
西行戻しの松公園から松島湾を一望できる。
西行戻
長老坂のつゞき、松島目の下に見ゆる、よつて此名あり。
江戸
御前句や西行もどり花の跡
言水
『松島眺望集』
宝暦2年(1752年)秋、白井鳥酔は西行戻しの坂から松島を望む。
○みちのく松島
西行戻しの坂に笠うち敷て島々を望むまことや扶桑第一の佳景を思ふ折から秋の盡る頃にして百餘里の道々紅楓に染たる目を爰に洗ふ
松島や紅葉を交せぬ水の色
『露柱先師懐玉抄』
(烏明編)
天明6年(1786年)8月27日、菅江真澄は「西行戻し」のことを書いている。
此山おくに、西行もどしといふ処あるは、かつら男のうたゆへ、都にはぢてかへり給ひしと、童までいひてけり。
『はしわのわかば 続』
(仮題)
寛政3年(1791年)5月24日、鶴田卓池は「西行戻し」を訪れている。
西行法師牛牽童ニ対シテ歌ヲ詠ス
月にそふかつら男のかよひ来て芒はらむハ誰か子なるらん
牛ひく童我もよむべしとて
雨もふり霞もかゝり霧もふりはらむ芒ハ誰か子なるらん
牛牽童ハ山王ノ変身也ト云
『奥羽記行』
(自筆稿本)
「西行戻しの松」の下に句碑があった。
あきらかに花粉とびつぐうらゝかや 阿部みどり女
阿部みどり女(1886〜1980)は札幌出身の俳人。
高浜虚子
に師事したそうだ。
天気予報では午後から晴れるはずだったが、突然雨が激しく降り出した。
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