このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

長岳寺〜武田信玄〜
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 国道153号で飯田に向かう途中、阿智村駒場に長岳寺という寺があったので立ち寄る。


長岳寺


天台宗 の寺である。

長岳寺は 武田信玄 公終焉の地。

NHKで放映の武田信玄公と当寺の関係

信玄公の死亡された所について各地に伝えられていますが、この寺は信玄公が野田城からの帰途、この駒場(こまんば)の山中で亡くなられましたので、当長岳寺に秘かにかつぎこまれ、こっそりと火葬にされたお寺です。境内に信玄公の灰塚供養の十三重の塔と遺品が残されています。

十三重の塔


新田次郎の句碑があった。


木枯しやいまはた遠き信玄公火葬塚

「信玄公火葬塚」で「かそうづか」と読む。

新田次郎は長野県上諏訪生れ。

 新田次郎の『武田信玄』は『歴史読本』に1965年5月号から1973年9月号まで連載された。1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』の原作である。

野田宇太郎の歌碑があった。


信玄は兜のきんの前飾り一つのこしてあとかたなし

土屋文明 の歌碑もあった。


恵那の山見ゆるところに墓置けと文に遊びし終りの言葉

森田草平終焉の地碑


森田草平は夏目漱石の門下生の一人。

明治41年(1908年)、栃木県塩原で平塚らいてうと心中未遂事件を起こす。

昭和24年(1949年)12月14日、没。

芭蕉の句碑もあった。


雪散るや穂屋の薄のかり残し

出典は 『猿蓑』

元禄3年(1690年)、芭蕉48歳の時の句。

建立者は窪田桐羽、長岳寺二十世住職可考の二説がある。

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