このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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西光寺
〜苅萱上人〜
長野市の中央通りを行くと、北石堂町に西光寺という寺がある。
刈萱山寂照院西光寺
正治元年(1199年)、苅萱上人開山。
本尊は苅萱親子地蔵尊。
浄土宗
の寺である。
かるかや親子の対面
顔も知らぬ父苅萱上人を訪ねて高野山に登った幼い石童丸が無明の橋にて父上人と対面した情景を銅像にしたもの。
親子の対面を果たしながら、父は子に親であることを告げない。
小林一茶の句碑があった。
花の世ハ仏の身さへ親子哉
『七番日記』(文化15年3月)「
花の世は仏の身さへおや子哉
」とある。
芭蕉の句碑もあった。
雪ちるや穗屋のすゝきの刈殘し
出典は
『猿蓑』
。元禄3年、芭蕉48歳の時の句。『蕉翁句集』(土芳編)には「貞享五辰ノとし」とある。
寛保3年(1743年)10月12日、芭蕉五十回忌に建立。
長野県で最も古い芭蕉の句碑である。
台石には元水、東伯等44人の俳号があるそうだ。
元水は善光寺玄證坊の僧。京都の言水門人。東伯は堂照坊の僧。
共に宝暦10年(1760年)、没。
『諸国翁墳記』
に「
薄 塚 信州善光寺
ニ
在 連中建
」とある。
昭和11年(1936年)5月28日、
種田山頭火
は西光寺へ詣でている。
三人同道して長野見物——
まづ西光寺(刈萱親子地蔵尊)へ詣でる、父寂照坊母千里御前、そのまんなかに道念坊の墓がある、それから美篶
(ミスズ)
橋上に立つ、白根山四阿山のすがたもよろしい。
『旅日記』
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