このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

武水別神社〜加舎白雄〜
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戸倉上山田温泉 から県道77号長野上田線を行く。

千曲市八幡に 武水別神社 (HP)がある。


武水別神社は 延喜式内社

 治承5年(1181年)6月、 木曽義仲 は武水別神社に祈願の上、横田河原の合戦に臨み勝利を得たそうだ。

武水別神社拝殿


安政3年(1856年)に完成したそうだ。

祭神は
武水別神(たけみずわけのおおかみ)

誉田別命(ほんだわけのみこと)

息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

比呼大神(ひめおおかみ)

通称「八幡さま」。

本殿の彫刻は見事である。


宗祇 は武水別神社で連歌の会を催している。

をばすて山の月見にまかり侍りしに、此所の八幡宮神主(の)許にて侍りし会に、

あひにあひぬをばすて山に秋の月

宗祇句集『老葉』

長楽寺 に句碑がある。

 宝暦13年(1763年)、蝶夢は松島遊覧の途上、武水別神社を訪ねている。

戸隠山はあれかとばかり布引山うち見て、八幡のやしろかうがうし。神前にまける銭を里の子のひろいて、鷄をいだき来り、何やらん祝詞申て社壇へはなちやる事あり。いはれ有にや。


 天明3年(1783年)8月15日、 菅江真澄 は姨捨山の月を待つ間、麓の八幡宮に詣でた。

いざ麓の神事(かんわざ)に詣でんと、更科の里に降り、八幡といふ處に至るに、ひきつらなれる軒毎に、色々の火ともしをかけ、人多く群れ立つ中に、かたゐ等錢もらふとて、谷水の樋の如く落ちかゝるに赤裸の優婆塞、こりめせ、こりの代り代りと左右の手に小笹束ね持ちて打振り、路の傍にかたしろ作りたるは、夜邊の花火のはてふるひたる也けり。


 明和8年(1771年)、 加舎白雄 は武水別神社に参詣した。

 やわたのさとにとしをむかひし此神の恵(み)いと尊く、しめのうち人なる左簾子とともにみまへなる石杠(橋)をわたる。それさへ端出の繩ひきしへて、かみつ代のむかしおもひやらる。

うら白や幢柄(はたぼこづか)も神のはる

  春興

うぐひすや四(つ)さがりなる厩口

 文化2年(1805年)8月、 川村碩布 は武水別神社を訪れた。

八幡の崇められ給ふ所有ちかきわたりなれはとて人々のしりへにつきて行

   むし籠を買てやふりぬ放生会

『穂屋祭紀行』

碩布の自撰句集 『布鬼圃』 に「穂家露」として収録されている。

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