よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり
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しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
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ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ
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脇に「若山牧水曳杖之址」と書いてあった。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、昭和42年(1967年)8月12日除幕、50番目の牧水歌碑である。
武重本家酒造に若山牧水愛用の徳利が展示されていた。
左の小皿に塩が盛ってあり「牧水の塩酒」と書いてある。
牧水は塩を肴に酒を飲んだようだ。
大正14年(1925年)の春、「若山牧水が来宅され、酒を飲みつつ門前の歌碑の歌を作り残された」と書いてあった。
大正14年(1925年)4月18日、牧水は
岩村田
に着き、信濃揮毫行脚をしている。その時に武重本家酒造で揮毫したものを歌碑にしたのだろう。
「よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり」の歌は武重本家酒造の代表銘柄「御園竹」を詠み込んでいるから、この時詠まれた歌であろう。歌集未収録の歌である。
「しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」の歌は明治43年(1910年)9月の歌。出典は第4歌集『路上』。「9月初めより11月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり、歌96首。」とある中の一首である。
「ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ」の歌は有名だが、出典は分からない。
後日、指摘を頂いた。
大正7年(1918年)の歌で、第13歌集『黒土』に収録されていた。
この頃、牧水の体調は「このまま酒を断たずば近くいのちにも係るべしといふ、萎縮腎といふに罹りたればなりと。」という状態であったようだ。
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