このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

戸隠神社〜奥社(御本社)〜
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 上信越自動車道信濃町ICから県道36号信濃信州新線で戸隠神社奥社前駐車場へ。

大鳥居


長野県史跡
戸隠神社信仰遺跡

 戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。

 縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥2年(849年)頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったという。その後200余年を経て康平元年(1058年)に宝光院が、さらに寛治元年(1087年)に中院が開かれたという。明治の初めの、神仏分離により、寺を廃し、奥院・中院・宝光院をそれぞれ奥社・中社・宝光社と名称を改めた。

 中世には、戸隠山は、武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内、水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰った。

 修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社・中社・宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)が史跡指定となっている。

 なお、奥社・中社付近の考古学調査は、昭和38年(1963年)から昭和40年(1965年)にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされている。

長野県教育委員会

采配蘭(さいはいらん)が咲いていた。


初めて見る花である。

羅生門蔓


シソ科の花である。

奥社髄神門(旧仁王門)


奥社参道杉並木


慶長17年(1612年)戸隠顕光寺(現神社)は千石の朱印地を拝領した。以後顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊はその道側に集め参道や境内には植樹し杉並木をつくり一山の威容を整えた。現在の杉並木はその時代に植樹され約400年である。

戸隠観光協会

奥社院坊跡

奥社髄神門(旧仁王門)の内側道側左右にある嘉承3年(850年)以来戸隠權現に奉仕した院坊の跡である。明治維新後神社となり国有境内地になった為にここにあった院坊は中社、宝光社に住居を移した。

戸隠観光協会

杉並木の参道は石段に変わる。


明治42年(1909年)5月29日、 河東碧梧桐 は戸隠神社奥社を訪れた。

 奥社の森近くなると、時鳥が鳴く、鶯が鳴く、羯鼓が鳴く。高野の仏法僧と同じだという慈悲心鳥も今頃は鳴く時分だという話の終らぬうちに、ジヒシンジヒシンと音色の違った鈴を同時に振るような声で間近く鳴く。杉交りに年経た橡の木の間に辛夷の真白な花も見える。道端に消え残っておる雪の上の杉の枯葉を掻きのけて、雪を噛む者もある。


   戸隠奥社即時

飯綱より雲飛ぶ橡の若葉かな


戸隠神社 九頭龍社


 御祭神 九頭龍大神

   御由緒並びに御神徳

地主の神で御鎮座年代古く

天岩戸が化成したと謂われる戸隠山の守護神にして神代の岩戸隠れの変に御功績を立てました本社の御祭神である天手力雄命を当山にお迎えした大神で、水分神・水口神・五穀豊熱・魔除けの神・虫歯の神・縁結びの神として、

御霊験あらたかに国民の多幸弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神です。

戸隠神社・奥社(御本社)


 御祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)

   御由緒

 御鎮座年代古く人皇第八代孝元天皇の5年(皇紀207年)と云われ、神話に名高い天照皇大神が御弟神須佐之男命の度重なる非行に天岩屋戸にお隠れになった時、天岩戸をお開きになった、神力無双の神で開運守護・五穀豊熟・家内安全・諸災消除の神として、国民の弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神です。

駐車場に戻る途中で銀竜草(ぎんりょうそう)を見付けた。


何年ぶりのことだろう。

駐車場から戸隠山(標高1,904m)が見えた。


山頂は左手中央。

北信五岳の一つである。

右手奥が日本百名山の高妻山。ここからは見えない。

 昭和22年(1947年)8月29日、 高浜虚子 は戸隠で蕎麦を食べたようである。

割合に小(ち)さき擂粉木胡麻をすり

昼寝してゐる間に蕎麦を打ちくれて

戸隠の山々沈み月高し

      八月二十九日 戸隠行。長野俳人、素十、春霞、立子と共に。
      犀川東道。

『六百五十句』

 昭和35年(1960年)、 水原秋桜子 は戸隠山で手打蕎麦を食べた。

   手打蕎麦

   戸隠山 四句

むさゝびや夜霧吹き入る手打蕎麦

霧騒ぎむさゝび騒ぐ手打蕎麦

黒姫山かき消す霧の山葡萄

谷の雲斜面(なぞえ)の霧や蕎麦の花

『旅愁』

 昭和42年(1967年)、 山口誓子 は戸隠を訪れている。

   戸 隱

青田より直ぐに高嶽信濃なり

天高き戸隱屏を八つ折りに

『一隅』

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