このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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善光寺
〜大本願〜
今年も
善光寺(HP)
に行ってみた。
仁王門
今年は
一昨年
と違って快晴。
仁王門の手前に
善光寺大本願
(HP)がある。
善光寺大本願は尼寺で
浄土宗
大本山。
ちなみに善光寺大勧進は天台宗大本山。
大本願の上人
(しょうにん)
は大勧進の貫主
(かんす)
と共に善光寺住職を兼ねている。
明治42年(1909年)5月17日、河東碧梧桐は善光寺を隈なく案内された。
五月十七日。晴。
善光寺を御連枝の尼宮の座
(あ)
らせらるる御寺と始めて知った予には、見聞総て新たであった。大本願というのは尼宮の御座所、大勧進というのは別当の坊などと一々に隈もなく案内される。大本願では尼宮代理の上人という尼前の方に対顔を許された。大勧進の苔のさびた庭の牡丹は今真盛りであった。本堂にはいっては、亡者の参詣の絵額の由来を始めとして、階段
(ママ)
めぐりという、真暗な床下めぐりまで残る所なく見巡った。
『続三千里』
善光寺大本願に芭蕉の句碑があった。
月影や四門四宗も只一つ
この句は芭蕉翁が今から300年前の元禄元年(1688年)8月木曽路と更科の月見の旅を楽しんだとき、善光寺にも詣でて作句されたものである。仏法は四門四宗とわかれていても澄みきった月のように帰するところは一つであると詠われている。
昭和63年(1988年)3月、『更科紀行』300年を記念して大本山善光寺大本願建立。
善光寺大勧進から見た三門(山門)
平成19年(2007年)、修復。
善光寺本堂
皇極天皇元年(642年)、長野県
飯田市
から後に現在の地に遷座。
仏教が宗派に分かれる以前の寺院で、無宗派。
2009年は7年に1度の前立本尊御開帳
善光寺経蔵
宝暦9年(1759年)、建立。重要文化財である。
善光寺大門前
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