このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

在原神社〜芭蕉の句碑〜
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天理市櫟本町に在原神社がある。


在原寺跡と在原神社

 在原神社が鎮座するこの地には、明治9年(1878年)まで「在原寺」という寺院があり、本堂・庫裏・楼門などが並んでいました。在原寺の創立は承和2年(835年)とも元慶4年(880年)とも言われ、後車の説を採る『寛文寺社紀』には、在原業平の病没後にその邸を寺としたとの記述があります。在原寺の井筒を『伊勢物語』にみえる「筒井筒」の挿話の舞台とする伝承もここから生まれたとかんがえられます。

 在原業平(825〜880)は平安前期を代表する歌人で、六歌仙にも選ばれています。従四位下右近衛権中将まで進み、在五中将とも呼ばれました。古今和歌集仮名序に「その心あまりてことばたらず」とあり、情熱的な和歌を得意とした一方、漢詩文は不得手だったようです。阿保親王は平城天皇の皇子で業平の父親にあたり、承和2年創立説では在原寺の創立者ともされ、現在の在原神社にも業平とともに祀られています。

 現在の社殿は大正9年に改築されてものですが、もとは紀州徳川家が寄進した立派なものだったといわれ、遅くとも江戸中期には寺と神社が共存していたようです。

天理市教育委員会

在原神社


祭神は阿保親王・在原業平。

謡曲「井筒」と在原寺

 在原業平は平城帝(第五一代)の皇子阿保親王の五男で、兄の行平と共に在原姓を名のって臣籍に入り右近衛中将となり歌人としても知られています。女性遍歴も多彩で『伊勢物語』のヒーローとされています。その業平と、昔契った井筒の女(実は紀有常の娘)が現われ、業平との在りし日の交情を物語るのが謡曲「井筒」です。

 謡曲の舞台となっている”大和国石上の在原寺の旧跡”が当所だといわれ、曲にゆかりの深い井筒の井の跡もかすかに残っています。

 曲名の井筒は井戸の地上の部分を木や石で囲んだもののことで、本来は円形ですが方形のものもあります。紀有常の娘が幼時、背丈をこの井筒で業平と計りあったといわれます。

謡曲史跡保存会

社殿の右手に 芭蕉の句碑 があった。


うぐひすを魂にねむるか矯楊(たをやなぎ)

出典は 『虚栗』

天和3年(1683年)、芭蕉40歳の句。

『蕉翁句集草稿』此句 虚栗 に、鶯の、と有。違也。」とある。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「貞享元子ノとし」とするが、誤りである。

在原寺 石山村在原山本光寺、俗に在原寺と云、業平朝臣の舊宅の地也。

 うぐひすを魂に眠る歟嬌柳

『芭蕉翁略伝』 (湖中編)

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