このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

東大寺〜會津八一の歌碑〜
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奈良国立博物館 から東大寺へ。

東大寺南大門


金剛力士像
吽形像
   
阿形像

   


立派な角がある鹿がいた。


大仏殿


東大寺

 東大寺の大伽藍は、聖武天皇の発願になる盧舎那大仏が大和 国分寺 の本尊として造立されたのが契機となって成立した。 大仏開眼供養会が営まれたのは天平勝宝4年(752年)。開基は良弁僧正。

 東大寺では、天下太平万民豊楽が祈られるとともに、華厳教学を中心に仏教全般にわたる教理研究が行われた。

 その後2度も兵火に罹ったが、創建期や鎌倉復興期の建物や仏像などの優れた文化財、修二会(お水取り)に代表される広汎な信仰活動を今に伝えている。

華厳宗 の寺である。

大仏殿の手前左手に會津八一の歌碑があった。


おほらかにもろてのゆびをひらかせて
おほきほとけはあまたらしたり

昭和25年(1950年)10月12日、除幕。

  會津八一 が「東大寺にて」と題して大仏を詠んだ歌で、歌集『南京新唱』に所収されている。

 「大らかに両手の指をお開きになって、大いなる仏は天空に満ち満ちていらっしゃいます」という意。

 奈良の大仏即ち毘盧舎那仏は、『大方広仏華厳経』に「宇宙の中心にあって知恵と慈悲の光明をあまねく照す仏」と説かれていて、全宇宙の真実の仏とされている。

 昭和25年、會津八一の古稀を祝う事業のひとつとして建立され、書は八一の自筆、彫りは喜多枡太郎による薬研彫りの手彫りである。

手向山八幡宮 へ。



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