このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
翁 塚
時雨塚
須賀川市上北の田村氏宅に「時雨塚」があるというので、行ってみた。
元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどる。須賀川で藤井晋流を訪ねている。
須賀川の驛晋流といふ人を尋ね宿す。此あるじは藤井氏にして。晋子の門人なり。正風を守り。風雅に富る人なり。彼是と物語し。翌日も草臥を休らふ。あるじに珍物あり。先師翁の眞跡奥の細道。其外翁の自畫賛。翁獨吟歌仙。曾良が筆。或は貞徳老人の筆。晋子自畫賛。杉風筆の翁の像。其他古人の墨跡。多く取出て見せられ。淺からぬもてなしなり。
『蝶之遊』
時雨塚
風羅坊芭蕉翁
寶晋齋其角翁
寛保元年(1741年)10月12日、藤井晋流建立。
右側面に晋流の句が刻まれている。
粟津より松風とゞくしぐれ哉
『諸国翁墳記』
に「
時雨塚 奥州須賀川駅在 晋流建
」とある。
藤井晋流は上州小泉村の近藤外記の子。須賀川の豪商藤井惣右衛門の長女の婿として迎えられた。
其角
の弟子である。
明治39年(1906年)10月16日、河東碧梧桐は須賀川の
十念寺
を訪れる途中で、「時雨塚」を見ている。
多代女の墓は十念寺にある。これにも詣る。途中其角の門人晋流の建てた時雨塚を見た。これは料理屋の庭の芝生の中にある。
『三千里』
大正14年(1925年)7月6日、
荻原井泉水
は「時雨塚」を見ている。
裏に出て、時雨塚を見た。その辺から東の山裾を見た眺が粟津辺に似ているというので、芭蕉と其角とを祀った石を立て、当地の晋流が「焼香辞、粟津より松風とゞく時雨かな」の碑を立てているのであった。
『随筆芭蕉』
(かげ沼と等躬の跡)
翁 塚
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