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『奥の細道』
『蝶之遊』
(山崎北華)
山崎北華は江戸の武士。名は浚明。通称は三左衛門。確蓮坊。捨樂齋。自堕落先生。
荒川区西日暮里の
養福寺
に北華自ら建てた「自堕落先生の墓」の碑が残る。
「自堕落先生の墓」
元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立ち『奥の細道』の足跡をたどる。松島を訪れ、夢で象潟に遊び、芭蕉に会う。象潟には行かず、5月9日江戸に帰る。
そゞろ神の。物につきて心を狂はせ。道祖神の招に逢て。取る物手につかず。股曳の破を綴り。笠の緒つけかへて。三里に灸するより。松島の月先心に懸りしと。翁の書き給ひけるぞ誠にて。我にもそゞろ神のつき。道祖神の招き給ふにや。日頃年比。松島心に懸りしに。漸く暇求めて。今年。元文三の年。彌生末の二日。笈背負ひ。草鞋しめて。白河の關越むと志す。今日は殊更日和も麗かなり。
燕に今日往來をば習ひけり
見送れる人々と物語し。上野淺草もあとになり。千住の茶店に腰かけ酒汲みて。是より人々に別るゝ實に路は指す雲千里。魂は消す酒一巵といふ句思ひ出られ。遙にも行くべき道哉。又いつかは歸りなんと。思ひ續くれは心細く。魂消なんとす。
猶行く程に。負馴れざる重荷に草臥。越が谷の驛大澤といふ所に。宿かしてむといふを幸に宿る。主六十許なるが。夫婦住なしたる。家のそこそこに氣もつき。貧しとも見えず。名は源兵衛といふ。先茶汲みて出し。今日は江戸より立ち給ふにやと問ふ。しかしか答へ。松島見んとて出つ。未だ日も高ければ。先へもと思ひしが。千里の旅立。宿給べたるが嬉しく。足を止めぬといひて。酒とゝのへ。獨くむに侘しく。あるじ夫婦にも侑む。妻のいふは。斯る田舎にては。酒の肴にもなすべき物なし。是にても苦しからずとは。三葉芹を汚
(むさ)
からぬ器に入れ出す。
丁寧な心みつ葉のさかなかな
と笑へば。あるじ、夫は俳諧の發句と申すにや。こゝらにても。前句附といふあり。流行
(はやり)
て江戸へも遣しぬ。我は知り侍らず。所にても。有徳なる人の翫び也。客人には。俳諧好み給ふ人と見えたり。我もほ句といふもの仕るべしとて。
御肴やはしめてながらしたし物
と云だしぬ。字數もよく。切字も入りたれど季なし。殊に浸し物を。したし物と覺えて。始めてながら親しと言懸たるは。彼前句附聞馴れたるものなるべし。奇特なるあるじ哉。能くも出來申したりと譽れば。嬉氣なるもおかし。明れば岩附の城下。長宮といふに。知る人ありて尋ね行く。主案内して。淨國寺。久尹豆。
慈恩寺
。
大光寺
。などいふを見歩く。大光寺に。昔義經。奥州下向の時。辨慶が水鏡見し池が有り。其傍に柳の大木が有り。辨慶此池に姿をうつし見。楊枝を爰にさしたるが。根のつきて如此といふ。斯る事は。國々に云傳へたる事多けれども。させる證も無き事のみ多し。更に眞とも思ひなさず。
おっぽり沼
長宮を出て
栗橋
の川を越て。古河の宿に夢見。岩船山見むと。した宮といふへ懸り。高すね。したいぶせ。篠山などいふ所を通。佐野川左に流れ。堤つゞきたる道なり。藤岡といふ里に出づ。此所菅笠をつくり。營とす。夏近き粧明らかなり。
菅笠の溜りや民の夏支度
明れば。
室の八島
を尋ね詣づ。木立ふりて神さびたるさま。いと殊勝
(すさう)
なり。しげれる森の内に。いかなる人の作れるにや。回り回りて池を掘り。池の中に島と覺しきを。八つ殘したり。八島といふ名にめでてなせしなるべし。年久しき業とも見えず。おかしき事を構へたるものかな。此御神は。木の花咲や姫にてましましける。往昔より。煙を歌によみ習はし侍る。我も。
一くもり室の八島のたば粉かな
と云捨て。烟管腰にさし。小倉川といふを渡り。壬生に懸り。稲ばの里。親抱の松を見る。
大神
(おおみわ)
神社
此所の西の方の山寺に。翁の
笠塚
あり。其角。嵐雪が印。百里が塚もあり。笠塚に到りて。
我も此の影に居るなり花の笠
笠塚
三月晦日。日光山に着きぬ。過し年。翁此所に到られたるも。三月晦日なり。我も亦日を同しうする事のふしぎさよ。翁の到られたるは。元禄二とせの春。彌生晦日なり。今年に及びて。全く半百なり。彼佛五左衛門も死し。翁も失せ給ひて。名のみ止まれども。春は同じ春にして。此所に旅寝して。今日我も春の盡るを見る。又誰か爰に旅宿りして。春の盡るを見るなるべし。
人も春も行くといふ名や旅の空
卯月朔日。今日は衣更なり。翁の。
一つぬいで背なに負ひけり衣更
と聞えし。眞に旅の身。風騒の行脚。かくのごとし。
股曳を脚絆にしたり衣更
御山御社に詣で。瀧の尾。清瀧。
寂光
。などめぐり見。水澤の茶屋に到る。此處。田樂の名物なるよし。
卯の花の隣も白し豆腐串
寂光の滝
中禪寺 に到れば。湖水漫々として。絶景いふばかりなし。黒髪山は雪いまだ殘り。麓は櫻の花盛りなり。
殘雪にくろ髪山もかす毛かな
と興じて。華厳の滝を見。
裏見が瀧
に到る。岩下に身を潜め入り。瀧の裏より見る。水飛び風冷かにして。首夏なれど堪がたし。
極暑にてなくて恨みぞ瀧の裏
裏見の滝
荒澤。かんまん抔
(など)
といふを見て。
霧降
といふに行く。疊れる山の頂より湧出して。萬仭の谷に落つ。彼處の岩。此處の石に當りて。碎け玉散ること霧の如し。よつて名とす。見終り。大渡りといふに所に出宿る。
霧降の滝(上段)
卯月四日。
大渡り
を立て。鬼怒川といふ有り。水量増りて橋落ちたり。渡し舟待て渡る。那須野の原に懸る。日光にて人々言ふには。此道未の刻までは。米運ぶ馬多く。淋しき事もなし。申の刻に及べば。往來絶てなし。昔は追剥の數多有りし所也。今も猶折々惡き事あれば。晝の内に通るべしと。教へられしが。鬼怒川の船待つとて日たけ。申の前に成りぬ。然ありとて。通るまじきにも有らねば。
澤村
といふ所にて。裾高くからげ。草鞋よくしめ。襷かけ。刀取出し腰にし。かひかひしく身固め。笈輕げに負なし。笠取て髭左右へ押分け。眼怒らし棒掻こみ。怪しき事もこそ。目に物見せてむと見えたる顔して。そこら目を配り。那須野に出づ。
聞きしに違はず。竪さま八十里。横或は廿里。或は十二三里の原なり。草もいまだ長からず。木といふものは。木瓜さへもなし。炎暑の折など如何にぞや。手して掬ふ水もなし。翁のほ句に有りし。
蝶の飛ぶばかり野中の日影かな
とはかゝる所にや有りけん。諸越より天竺に渡る流砂越といふなる。十三日の糧を包むと聞えし廣原の有様も。斯やといと心細し。左の方遙に。高原山。那須山連り見ゆ。
殺生石
。此野にありと聞きて尋ねしに。山水の度々出て。土流れ石埋れ。石のある所までは至らず。實に人の言ひし如く。啄む物なければ。鳥も影なく。鷄犬聲絶て。旅人一人にも逢はず。固より山賊の類もなく。漸々にして太田原の驛に出て宿す。
蟷螂の張臂おかし獨り旅
殺生石
それより埴生がた。みねじ。澤田小町。越堀。黒川などいふを過ぎて。蘆野。板屋といふを通る。出流にて損ぜし足の未だ愈ず。まめといふ物さへ出來て。苦しき事限りなし。所の名に叶ひて。眞にあしのいたやかなと獨おかし。今日の雲の景色定まらず。那須山の姿失へるより。いなびかり強く。雷
(いかづち)
鳴り出て雨篠を突く。かの
清水流るゝと詠みし柳
は。田の畔
(くろ)
にあり。
白雨に立どまられぬ柳かな
遊行柳
雷雨に辛き目見て漸くたどり。白河の關に着きて。堺の明神の邊
(ほとり)
に宿かる。堺の明神と申すは。下野と陸奥との堺なり。下野の方は
玉津島明神
。陸奥の方は
住吉明神
なり。彼是と句案せしかども。さしも和歌二柱の御神所といへば。白河の關如何なる事を申して。深慮にも叶ひ。又名所にも宜しからんやと。計り難く恐ろしくて。何も申さでぬかつけば。杜鵑聲す。
我が唖
(おし)
を笑ふか關の不如歸
玉津島神社
住吉神社
須賀川の驛晋流といふ人を尋ね宿す。此あるじは藤井氏にして。晋子の門人なり。正風を守り。風雅に富る人なり。彼是と物語し。翌日も草臥を休らふ。あるじに珍物あり。先師翁の眞跡奥の細道。其外翁の自畫賛。翁獨吟歌仙。曾良が筆。或は貞徳老人の筆。晋子自畫賛。杉風筆の翁の像。其他古人の墨跡。多く取出て見せられ。淺からぬもてなしなり。
言の葉に休み過すや若葉影
と云て。岩瀬の森を過ぎて。
淺香の沼
に着く。彼の翁のかつみかつみと求め給ひし。我も亦尋ぬれども。里人は知らず。花かつみとは菰
(まこも)
の事なる由。又あやめといへる説あれど。苅といふなれば菰なるべし。淺香山は道の右の邊り。高からぬ山なり。頂に松一木あり。往来の人立寄り。枝に紙を結び付て。男女の縁淺からず結び逢はん事を願ふとなり。
淺香山麓の草を敷島の道知顔に踏分るかな。
と打詠じ。我ながらをかし。
二本松に懸る。あたゝら根は左りに聳ゆ。實に陸奥の富士と言へる。嶺の姿裾の景色。面白き山也。
安達太良山
安達が原も近ければ。
黒塚
を尋ぬ。傳へ聞きしは。岩屋疊み上げて。日月の光を隱し。洞口苔深く。鬼も住みけむ有様なりと聞きしに。さにはあらで。少しの木立有て。切石の壇のやうなるが。二つ三つ有るのみなり。陸奥名取郡黒塚といふ所に。重之か妹尼と成て住むと聞きて。平兼盛。
みちのくのあだちが原の黒塚におにこもれりといふはまことか
と詠みし。彼の尼の住みける礎の跡なるよし。鬼。御尼の通じたるを誤りたるなるべし。
「黒塚」
是よりさば野といふに到る。
醫王寺
といふあり。佐藤庄司の菩提所なり。義經の笈。辨慶が書寫の經。佐藤尼の書寫抔
(など)
あり。佐藤父子の印は。高九尺ばかり。幅三尺許づゝの石なり。文字見えず。是より
庄司の館
の跡丸山といふを見て。
飯坂
といふ所に宿る。此所温泉あり。足の痛もあれば。ひと日ふた日浴し。夫より葛の松原に懸る。
「醫王密寺」
桑折といふへ出て。馬耳といふ人の風雅ありと聞きて尋ぬ。主人の今日は此所に泊りてよと止められ侍れど。日も未だ巳に至らず。殊に此比日和も續きたれば。近々に雨もあるべし。先づ松島急がれ侍ると言へば。主。
雲晴れてとむるに手なし時鳥
といふ。歸るさ必すまかるべしと約して去る。此所に翁松島行脚の時。
風流のはしめや奥の田植歌
といふ短冊を。土中に籠めて。
田植塚
といふあり。此塚に到り。
風流のはしらや奥の田植歌
と書きて。塚の前に指置く。是や俳諧の鸚鵡躰とも謂ふべき歟。
田植塚
藤田。貝田の驛過ぎて。道の左の岡の上に。辨慶が硯にせしと云石あり。大いなる石の。上少し硯の様に窪みて有り。炎天にも水へらずといふいかゞ。夫より暫く行きて。左の方山畑の中に。高九尺ばかり。枝四方へ蔓
(はびこ)
る事廿間餘り有りて。いと珍らしき松あり。是を
義經の腰掛松
といふ。木の下に義經の小社
(ほこら)
あり。
義経の腰掛松
夫より
伊達の大木戸
の跡を見る。左の方は國見峠とて山なり。右は地さがりて田畑打續き。阿武隈川の際に到る。今も猶木戸の跡。二重なる空堀なり。左の山より堀續けて。十二里の間といふ。紛ふべきもなき要害なり。古への下紐の關なりとぞ。 鐙坂。鎧碎
(よろひこわし)
。
鐙摺の石
は。さい川の入口なり。道細く右は山にして。左に大石あり。一騎打の難所。實に鐙も摺る程なり。此所右の方に
一宇
有り。よりて見れば。佐藤次信忠信が二人の妻の姿なりとて。各甲冑を帶したり。如何なる故に此所に在るにや。殊に女の甲冑を帶したる姿。いと珍らし。古き像にて。彩色の剥げて。下地なる胡粉の白く見えたるは。
卯の花や威し毛ゆゝし女武者
と云捨てさい川に到る。
甲冑堂
簑輪。笠島。
實方朝臣の古墳
。形見の薄とむらひ。道祖神の社詣して。
武隈の松
によりて見る。二木の姿替らず。いと愛度
(めでたく)
榮えたり。如何と問はばみきと答へんと詠みし事思出て。
武くまや松の二木はみきもよき
と戯れ。
武隈明神
に詣づ。竹駒明神と額あり。寺をも寳窟山竹駒寺といふ。開山能因法師。陸奥の國に下りし時。武隈の松なかりしかば。尋ね侘けるに。童子の竹馬に乘れるが來りて。松の事教へて。狐と成て去りしとなん。夫より竹馬を寺の名とし。稲荷の社を祭りしといへどいかが。武くま竹こま何時の頃にか書違へたるを。かく事作りたるらめとも思はるゝのみ。
竹駒神社
市川村。多賀の城の跡。
壺の碑
を尋ぬ。翁の千歳の記念。今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳。存命の悦。羈旅の勞を忘れて涙落ちにきと書き給し。實にさる事にて。珍らしくも爰に來り此碑を見る事よ。中頃には土に埋れて。名のみ有て無き事なりしを。いつの頃か堀出し今世に明し。
千歳の昔も同しほとゝきす
多賀城碑覆堂
是より奥の細道。十符の井を尋ねて。
沖の井
に行く。三間四方程の岩なり。周は池なり。里人は沖の石といふ。千曳
(ちびき)
の石も此あたりと雖も。里人は知らず。末の松山は此所より遙に海原に見ゆ。
沖の井(沖の石)
鹽竈松島の記
并に
象潟夢中問答
抑々此鹽竈の浦は。松島に並ひ續き。扶桑第一の美景なり。白玉の
緒絶の橋
と詠みしは。六社明神の前に懸りたり。
明神
は當國第一の社なり。木立古り神さび。石の階百重に疊み上げ。樓門いよやかに構へ。廻廊緩く回り。社壇目出たく輝き。切れる石の中徑は。糸して引くが如く。細かなる敷る石は。洗へる大豆に似たり。石唐銅
(からかね)
の燈籠數も知らず。中にも和泉三郎寄進の燈籠は。形輪塔の如く珍らし。
文治の燈籠
月花の雫や凝りて島小島
と眺め。舟より上り。松島の海士の家借て宿り。笈下し草鞋脱けども。猶宿に尻つかで。
五大堂
抔見歩き。
瑞巌寺
に至る。
命の幸にして。
松島
の月今日既に見つ。是より象潟如何あらんや。翁の松島は笑ふが如く。象潟は恨むるに似たりと書き給ひし事。思ひ出られて。心に懸りて臥しぬ。 松島鹽竈に草臥も忘れて。醉るが如く眠るが如く象潟に到る。翁の口眞似
(まね)
するに似たれど。西行の形見の櫻。今を盛りと咲亂れ。南は鳥の海遙に遠く。西はむやむやの關となん。東は秋田の通路。海北に堤連なりたり。江の中六里餘。風景又有るべきに非す。斯の所にも遊び來にけるもの哉と思へば。我神心も我神心にあらぬやうに思はれ。南華の蝶と成て遊べる我も又蝶にやと。
象がたや我蝶々の遊び所
僧の問ふ。そこには何處よりぞ。我は武藏の江府と答ふ。生國はいづく。生國も武江。しかも金城の内に産すと答ふ。僧の云ふ。武江御溝内の産ならば武門の生れか。然り。
俳諧は誰が門に入るやと。答へて曰ふ。蕉門の高弟去來の下に。雪竿といふ人有りし。此人によりて先師の傳を受けたりといへば。僧うなづいて。落柿舎の門に此人有りと聞きたり。
さて吾子我が門に入りて。雪竿より傳へて俳諧を樂むといひしが。慎んで守り邪に走る事勿れといふ。我が門に入るとは誰にて候ふやと問へば。我は是桃青なりと。扨は先師芭蕉翁にてましましけるよな。不思儀
(ママ)
にも斯る處に見え奉るこそ有難けれ。
吾子我が門に遊ばゝ。返す返すも邪に走る事なく。風雅を守り樂むべしと宣ふ聲と共に。烏の鳴渡れば。干滿珠寺の傍なる庵と覺えしに。さにはあらで。松島の宿に臥したり。
象潟へ歩を向んと思ひしが。今夢中に象潟の景を盡して。もしや象潟に到らんに。風景夢より劣りなばいかゞせん。又夢よりも勝らば。夢無下なるべし。象潟に到らで歸らんにはしかじと。仙臺に出で。芳妍といふ人を尋ぬ。
夫より
馬耳
子の許に行く。あるじ此頃會津に行き留守也。子息如楓宿にて出迎へられ宿す。可貞。可則。錦蓆なといふ人尋ね來り。風雅の物語に夜更したり。此あるじの亭を攬翠といふ。正徳の比より詩歌連俳の好士。此處に遊ぶ者。風景を述べて。
正徳集
と云ふ。此度の行脚此所に宿り。此の風景を見。此集を閲す事。風雅の妙也。我も賤しく拙き筆を殘さまほしく思へど。あるじの留守なればいかゞといへば。如風の苦しからずと許さるゝにぞ。矢立取出し。
嗚呼欖翠の奇なる。春は櫻木の雲を踏て。上天にも登るへく。秋は池水に月を移して。紫女の心をも伺ひつべし松柏欝然として饂飩心太に宜しく。水聲潺々
(せんせん)
として。奈良茶田樂にも又可也。直下三千尺。澗水眼を射て青し。
軒端から螢を瀧や谷の水
野禽聲幽に山姥も住べく。小徑屈曲して桃源にも出づべし。
仙人の道は紛れず苔の花
と書記しぬ。あるじ留主なれば短冊をとゞむ。
おるすとも言せずたゝく水鷄哉
(※鷄は「鳥」ではなく「隹」)
明て笈肩にせんとすれば。須賀川まで肩休めよとて。人に負せ送らる。是より暑に向へばとて團扇を餞し給ふ。
何よりぞ暑さに風のもらひもの
云て暇乞出で。須賀川
晋流
の許に到る。
五月九日江府の旅舎に着きぬ。此所に生れ此地に住む身。旅の宿りとはと問ふ人有り。予が云ふ。何所か終の住家なるべしや。今日世に在るは旅にして。又明日も旅なり。心に向けば飯食さして笈肩にすれば也
故郷も月雪花の旅の宿
于時元文三年戊午。無思庵主十無居士七富道人 確蓮坊北華筆を捨樂齋に取る
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