このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『奥の細道』


〜裏見の滝〜

 東北自動車道宇都宮ICで日光宇都宮道路に入り、日光ICから国道119号(日光街道)を行く。

国道120号を左折して、裏見の滝に行く。

 駐車場から裏見の滝まで遊歩道が整備されている。新緑が美しい。

三脚を手にしたお年寄りに何人も出会った。

裏見の滝


滝の左側に不動明王が祭られている。

そこまで行くと滝の裏側が見られるのだが、足下が悪くて、とても行けない。

 元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、芭蕉と曽良は、午前8時ごろ上鉢石町の五左衛門宅を出て裏見の滝へ向かった。

 廿余丁山を登つて瀧有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落たり。岩窟に身をひそめ入て瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。 暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏の初

裏見の滝に芭蕉の句碑は無い。

句碑は 安良沢(あらさわ)小学校 にある。

廿余町山を登りて滝有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に落たり。名を恨の滝とかや申伝へ侍るよし。

時鳥うらみの滝のうら表
   ばせを


 元禄9年(1696年)、天野桃隣は 寂光寺 から裏見の滝を訪れ、句を詠んでいる。

 此所を半里戻り、又奥山へ分入。日光四十八滝の中第一の滝あり。遙に山を登て、岩上を見渡せば、十丈余碧潭に落。幅は二丈に過たり。窟に攀入て、滝のうらを見る。仍(よつて)うらみの滝とはいへり。水の音左右に樹神(こだま)して、気色猶凄し。

   ○雲水や霞まぬ滝のうらおもて


 享保5年(1720年)、貞佐・潭北は下野を遊歴。裏見の滝を訪れている。

   うらみか滝にて

裏襟のほころひ行や深山百合


 元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立って『奥の細道』の足跡をたどり、4月裏見の滝に到る。

中禪寺 に到れば。湖水漫々として。絶景いふばかりなし。黒髪山は雪いまだ殘り。麓は櫻の花盛りなり。

   殘雪にくろ髪山もかす毛かな

と興じて。華厳の滝を見。裏見が瀧 に到る。岩下に身を潜め入り。瀧の裏より見る。水飛び風冷かにして。首夏なれど堪がたし。

   極暑にてなくて恨みぞ瀧の裏

 元文5年(1740年)、榎本馬州は『奥の細道』の跡を辿る旅で裏見の滝を訪れている。

硝子(びいどろ)のあちらは夏の瀧のうら


 寛保2年(1742年)、佐久間柳居は裏見の滝で句を詠んでいる。

瀧にさへかくし裏あり赤つゝし


 延享4年(1747年)、 横田柳几 は陸奥行脚の途中で裏見の滝を訪れている。

   裏見の滝にて

涼しさの裏見出しけり滝の奥
   柳几

葛もいま若葉そ滝のうら表
   白尼


 宝暦5年(1755年)5月、南嶺庵梅至は裏見の滝で句を詠んでいる。

   荒沢裏見の瀧

下野の華や表は瀧の裏


 明和6年(1769年)4月、蝶羅は嵐亭と共に裏見の滝を訪れ句を詠んでいる。

   裏見瀧

底清水しれぬうらミや山かつら
   嵐亭

瀧見よと這行葛のわかばかな
   蝶羅


高桑闌更 も句を詠んでいる。

ことによし裏みて潜る夏の滝


昭和40年(1965年)、 山口誓子 は裏見の滝を訪れている。

   裏見瀧

凍るべき瀧を見るいまならずばと

『一隅』

駐車場に戻る。

十二単(じゅうにひとえ)が咲いていた。


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