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佐久間柳居
『柳居発句集』
寛政元年(1789年)、抱山宇門瑟刊。松籟庵霜後跋。
柳居発句集上
春之部
人 日
南から野を摘減らす若な哉
翌見よと闇へしまふやむめの花
涅 槃
涅槃会の表具に柳さくらかな
紅 梅
紅梅に青く横たふ筧かな
一つかみ烏のこほすさくらかな
火うちふくろとり出て花の木の間にたはこ一ふくをたのしむに我坊主あたまも秋瓜門瑟か四方髪も他所目にはいかゝ見ゆらんとおかしきまゝたはむれて
山伏は花に馴々し摺火打
夏之部
三斛庵開闢の会
巣を立た鳥の寒みや衣更
との神に通夜して聞む杜宇
閑古鳥
鳩ほとゝ人はいふなりかむ鳥
かほり山の集に前書有
昼かほの笑ひかゝるや蚊屋の外
幟見や染た紺屋も立ましり
此ほとの元服青しあやめ売
納 涼
木母寺に世をのかるゝや涼舟
題 法螺貝
うけ持て清水の時宜やほらの貝
今植た竹に客あり夕すゝみ
(ママ)
僧上寺
を見やりて
舟からは遠寺の鐘や夏木立
秋之部
ことしは吐花坊とさし向ひしに草庵の月を見て
名月や丸太はしらの添へやすく
蜻蛉や花なき杭に住ならひ
冬之部
時 雨
臼の茶は常盤の色や初しくれ
つつくりと鳥の隱者や雪の鷺
張出して氷の椽や浮御堂
都より帰りて
頭陀からは京染の葉や衣くはり
題不分
玉眼の達磨忌寒し松の風
柳居発句集下
奉納之部
四季混雑
亀戸天神
鶯や松には啼すおそれ入
三囲稲荷
苗代に案山子と現し守り神
川口善光寺
此寺を極彩色に花の雲
題
待乳山
晴嵐
鷺の飛間やしらはけて青あらし
信州
善光寺
のうしろ町といふに宿りしか晩かけてとよむ声のするは所の人々の開帳拝まんと行にそありける其跡に付て御堂に参りたれは我もそゝろになみたをこほしぬ
朝顔やみな同音に口を明く
真大山不動尊
枯々や護广に煤ひて残る菊
越後
石舟神社
沖にたつ浪や祭のはやし物
伊勢外宮
時鳥しはしはたまれ宮すゝめ
内宮
は僧尼の拝所も五十鈴川を隔てほのかに拝まれ給ふ
千本高し目にもろもろの夏木立
伊豆
三島明神
卯の花の雪解や神子の化粧水
人丸社
柿の木の紅葉や神のうしろ楯
鬼子母神
手廻しや千人の子の衣かえ
笠森観音
墨繩にかしこき堂や蔦かつら
誕生寺
題目に波の鼓も夜さむかな
惣門よりうちは漁家あまたあり
小いわしを玉のいさこや寺の庭
佃島
遊ひよしこゝ住よしのよし雀
賀之部
人の住捨し庵をもとめけふより三斛庵と呼かへて賀し侍る時に弥生七日なりけり
囃し残す薺に咲や艸の庵
翁の申おかれしなら茶三斛といふ事を今此庵の名に呼事となりぬ
茶も米も作れ作れとほとゝきす
鳥酔
名開
恥かしさおもへさくらの笑ふ時
秋瓜名開
長慶禅林
の花の時祖翁の牌前に於て百囀の雅莚をひらく事けに道の宜加に叶へりと謂つへし汝けふより三斛庵の俳道場を守りてかの釘語を得て怠らす芭蕉翁
麦林
叟を二尊としていよいよ敬ひかしつき奉るへし我は年老薪こる力なけれと身を終るまて相ともにつとめ励むへしと今の秋瓜坊をいき
(ママ)
めて
つかへよやなら茶の茶つみ水も汲
抱山宇門瑟は予か門に遊んて既に十とせけふ其俳莚を開事を悦ひ祝して
骨折もけふは干日やさらし布
門瑟入庵賀
持習ふ庵は手軽し萩と月
薙髪の吟
我髪をけさ手はしめや散柳
餞別之部
銚子の弄船へ
首途のねかひあまりや豆まはし
柳几
兎秋かいせへ詣るに
よい発句して囀らせあふむ石
留別之部
品川
の駅にて人々にわかるゝとて
夏山に浪の花見して別れけり
鶯も音を入て置け庵の留守
寅のとしに千里の行を思ひ立
川崎
の駅にして人々に別れんとして花に涙をそゝき鳥にも心をおとろかす
さなくとも振かへらんを松に藤
よし田
の長逗留に追風よしといふほとこそあれ俄に旅骨柳からけたるに人々の名残もさすか惜しまるれとけふは伊勢の海へ舟乗出す
酢を乞て行はや海松の二見まて
以之亭
短夜の夢をさますやうつゝ川
京にて
鳥酔
に別る
片破になるや都の月のさひ
麦浪亭より京へ行とて
笠もけふ四ひらの花のちり別れ
三士は霍か岡へ帰るむかし扇引さくとありし別れにも似たり
涼しさも帆は片裂の別れ哉
讃州観音寺には宗鑑法師の結ひ捨し
一夜庵
あり掟置れし客に三品の事はむかしより耳にふれたるを今や此高松にひと日ひと日と長逗留し連中へ俳談もおこかまし下々の下のそしりあらんといと恥かしけれは此地を立別んとして
我跡は寄麗な客や磯の鴈
挨拶之部
神風館は
涼菟
先生より曽北叟へうけつきいま梅路のぬしへわたされしよしなれは
なひかする風や団扇の持つたへ
七とせを経て麦浪舎を尋ぬ折から端午の節供なれは
物の名も軒は替らすあやめ哉
沼津矢部氏許にて蕉翁の
神も旅寝
といへる真跡をかけられたるに
さみたれを爰に笠ぬく日数哉
酒匂麦雨亭
いろいろのもてなし涼し波と月
野水翁麦喰ひしの句を短冊に書て送しかは
何喰はぬ顔して居るや芦の鴈
巴静
に対して
見せはやな屋敷屋敷のいかのほり
文月朔日鴻巣
柳几
亭
来たはとて松にそよくやけさの秋
地引村
白井
氏の許にて
松茸の匂ふ山あり鼻の先
黒戸の浜雨林亭
木隠れて見残しかたき紅葉かな
名所之部
海晏寺
深からぬ山を上手紅葉かな
野火留
にて
吸殻を追ふて踏消す枯野哉
鎌倉
光明寺
蜑の手も抹香くさき十夜かな
江島
琵琶聞かぬ日も俯くや百合の花
早雲寺
祇空墓
千年の墓かと見えて散松葉
塔の沢
谷の戸や花柚匂はす仮所帯
まり子
の柴屋寺を尋ぬ此所は宗長の旧庵の花にして正真に天柱山あり流し吐月峰有更ひかへの椎しら樫も前置のさつきもすへてかの老のものすきに残されしまゝのよしむかし忍はしく此庭にしはし彳みて
什物の木鋏見はや若葉垣
こゝは東海道第一の難所にしてこと更此ほとの霖雨にみかさ増れはほそ首中に大井川といへるむかしの狂句もおもひ出ておそろし
早乙女は繋てわたせ笠の橋
鳳来寺
簫ならはなを此寺や蝉の声
嵯峨
ほとゝきす啼や筏の一おとし
尾花にも足らぬ所に紅葉かな
高尾
七堂の足らぬ所に紅葉かな
住よし
蛤の淡路へ吐や二日月
金昆
(ママ)
羅
詣
こゝの札守は初穂によりて軽重あるよし世俗申伝へ侍る
桐は重し柳一葉も札まもり
南面山
矢島寺
波も寺へ苅てとらるゝ尾花哉
壇の浦
吹みたす平家の磯や赤とんほ
志渡寺
その蜑の子孫ならねと墓まいり
人丸社
朝霧のあとを立てや翠簾一とへ
文月廿六日
わりなくも夜半の月や須磨の宿
楠か墓
味方ともつかて吹るゝ案山子哉
布引
霧も晴よ瀧の地合を見くらへん
宮島
夕すゝみうしほのあゆみ運ふ迄
千光寺
へ詣て室岩の謂れを聞て
蓮の実や石にも飛はす玉の浦
卯月八日はしめて都に入
灌仏の指さし嬉し京の山
嵯峨
淋しさを麦て見せたりさかの秋
木曽
かけはしや跡にも先にも雲の峰
同所
上松
といふ所の寺にて
木曽殿を寺の系図や土用干
岐阜
にて
鷺山の暮るゝといなや鵜飼舟
室の八島
にて
けふは又つゝしの伊達をさくや姫
日光山
鶯の引音尊し日の光
うら見の瀧
瀧にさへかくし裏あり赤つゝし
松島
五大堂
より遙に塩やく烟を見付出してむへも心あると打詠て
松しまや海士の伽羅かと風薫
野坡か塚を箱崎に築くみとり冢と呼
箱崎は松の蓋ありひはりの巣
画讃之部
養老瀧
題
一樽の瀧もなかすや花の庭
追善之部
巴静
を悼
菊畠の一鍬つゝや記念わけ
野坡
老人の書音たへて其年その忌日を思ひ出るまゝに難波の梅従へ申送る
五七五と手向て鴈の文字
楽住と見し世短しさゝけ垣
三河
白雪
閑居調度ある中に此一物は殊更老のねさめをたすくる物なれは寵愛もさそ深かりけんと思はるゝにいと哀也
今からはひとりくらしや竹婦人
麦林
翁悼
木の実にも驚く風の便かな
敬雨
一周忌
若葉古葉撰るも誠そきり樒
白兎園宗瑞
身まかりし時
この晦日月の兎も見かくしぬ
悼珪琳
ことしは都の方へ杖笠の用意と聞しにそれに引かへ黄泉の旅に赴けるよし驚きて
救はるゝ薩タ
(※「土」+「垂」)
越えあり雲の峰
同光忌
祖翁遷化し給ひて既に五十年こゝなる
発句塚
は草蒸にむしはみ霜枯にそこねたるをいさやつくろひ改んとて連中一簀の力を尽せは竹も木立もいにしへよりなを奥深く尊し
植よ植よ塚もとし寄る冬かまへ
古塚やけふ言の葉のこまさらへ
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