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私の旅日記2010年

鳳来寺〜碑巡り〜
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 国道257号から県道32号鳳来東栄線(伊那街道)に入り、鳳来寺に立ち寄ることにした。


大宝2年(702年)、利修仙人が開山したと伝える。

参道を行くと鳳来寺山自然科学博物館の入口に 種田山頭火の句碑 があった。



春雨の石佛みんな濡れたふ

水音の千年万季ながるる

 昭和14年(1939年)4月22日、 種田山頭火 は鳳来寺を訪れ、16句を残した。

さらに電車で鳳来山へ。——

駅からお山まで一キロ、そこからお寺(本堂)まで一キロ。

石段——その古風なのがよろしい——何千段、老杉しんしんと並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。

本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。


 昭和63年(1988年)10月11日、三河知多山頭火の会建立。岡島良平揮毫。

 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、82番目の山頭火句碑である。

 大正12年(1923年)、 若山牧水 は鳳来山を訪れている。

    峡のうす雲

  三河鳳来山にて

降り入れる雨のひびきをわが聞くやわがまなかひの雨のひびきを

降り入りて森とよもせる雨のなかに啼きすましたる何の鳥ぞも

水恋鳥とひとぞをしへし燃ゆる火のくれなゐの羽根の水恋鳥と

『黒松』

若山牧水像があった。


平成8年(1996年)3月、保田井智之作。

 牧水 は大正13年7月、鳳来寺を訪れ医王院に5日滞在しました。そして大正15年6月、再び鳳来寺を訪ね、小松家に1泊しました。牧水が鳳来寺を訪れた時に残した

仏法僧仏法僧と鳴く鳥の声をまねつつ飲める酒かも

という歌を刻んだ碑が、松高院の上の左側の岩の壁にはめ込んであります。

 昭和33年(1958年)10月、 中村草田男 は鳳来寺山を訪れている。

   鳳来寺山にて

仏法僧子泣く熱風呂すぐ埋めよ


芭蕉像もあった。


平成8年(1996年)3月、淺井健作作。

松尾芭蕉

 江戸時代の有名な俳人松尾芭蕉が鳳来寺を訪れたのは、今から300年あまり前の元禄4年の10月下旬のことでした。

 前日、新城に住む弟子太田白雪の家に泊まった芭蕉は、弟子たちを連れて鳳来寺へ参詣に来ました。急な坂道の途中で足を休め

木枯しに岩吹きとがる杉間かな

という句をよみました。現在、山道の石段を100段ほど上った左側に、この木枯しの句碑が立てられています。

 たいへん寒い日だったので冷えたためか、芭蕉は持病がひどくなり、頂上まで登らずに引き返し、表参道にあった家根屋という宿屋に泊りました。この宿で芭蕉は

夜着一つ祈り出して旅寝かな

という句をよみました。この夜着の句碑の立てられているところが、家根屋のあった跡です。

「屋根屋跡とその井戸」に芭蕉の句碑があった。



     みかはの国鳳来寺に
     詣道のほどより例
     の病おこりて麓
     の宿に一夜を明すとて

夜着ひとつ祈出して旅寝かな

白雪の妻の甥桃鯉の後裔に代々伝えられた 真蹟懐紙 による。

 元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は膳所義仲寺を後にして江戸へ旅立つ。途中で鳳来寺に立ち寄った。

また山頭火の句碑があった。


たたずめば山氣しんしんせまる

新しい芭蕉の句碑があった。


   鳳来寺坂中の吟

こがらしに岩吹きとがる杉間かな

石段入口


1425段の石段が続く。

仁王門の手前に古い芭蕉の句碑があった。


こからしに岩吹きとかる杉間哉

明和3年(1766年)、米林下才二建立。

米林下(べいりんげ)才二は国府(こう)の俳人小沢才二。

寛保3年(1743年)10月、 陽炎塚 を建立。

仁王門


芭蕉来鳳300年

こがらしに岩吹きとがる杉間かな

夜着ひとつ祈出して旅寝かな

 芭蕉は元禄4年(1691年)閏10月23日新城在住の 太田白雪 に案内され、鳳来寺山に登山した。 天野桃隣各務支考 、白雪の子桃先・桃後らがこれに従った。木枯らしの句は芭蕉がセバイシという所を通った時、即座に詠ぜられたという。

白雪父子の句

   白雪
四五本の松を小楯や雉子のこゑ
   桃先
疵のつく木末木末や秋の風
   桃後
節季候の拍子をぬかす空家かな


 仁王門にさしかかった頃、芭蕉の持病が激しく痛み出した。一行は止むなく下山、麓の家根屋という宿屋に無理に頼んで泊めてもらった。この日は鳳来寺の秋祭りで、どの家も満員だった。あたえられたその部屋は風が吹き抜け布団もお粗末だった。弟子供は夜道を奔走し、やっと山中の一□から、夜着(掛け布団の一種)を1枚借りることが出来た。その時に作られたのが。夜着塚の句であつ□

私も仁王門で引き返す。

 元禄13年(1700年)、 服部嵐雪 は鳳来寺に登っているようである。

   三河鳳來寺

一もとのあふひを登る山路哉


 明和8年(1771年)4月12日、諸九尼は鳳来寺に参詣している。

 十四日 鳳来寺に参る。道の傍にて案内の老人に物うちかたる人あり。大野ゝ楽和といへる人にて、この道の好士とや、今宵宿参らせんといふにぞ、やがてその家に入りて、京田舎の物がたりに夜ふけぬ。


 安永元年(1772年)、 加舎白雄 は松坂から江戸に帰る途中で鳳来寺に登っている。

登鳳来寺

利修仙人の紫鳳に乗りし来てひらきし御山ときくに、護摩の煙りたてし跡は只雲とのみ、本堂は善逝如来立せ給ひて、おりしも山気ひとすぢ真杉の上にかゝりつゝ雨後の梢また尊し。

 秋蚊やむらさきふかき峰の雨


鳳来寺は旅の途中で立ち寄るような所ではなかった。

また いつか 来よう。

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