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中村草田男
草田男の句
『長子』
歸郷 二十八句
貝寄風に乘りて歸郷の船迅し
夕櫻城の石崖裾濃なる
春の月城の北には北斗星
松山中學校
にて
燒跡のこゝが眞中の春日差
同
啓蟄の運動場と焦土のみ
松山城北高石崖にて
町空のつばくらめのみ新しや
石手寺
にて
夕風や乞食去りても遍路來る
松山赤十字病院
にて
花の窓營所へ兵の歸る見ゆ
同
病院のユーカリにほふ春の闇
ハマナスや今も沖には未來あり
再び歸省、
松山城
にて
炎天の城や四壁の窓深し
同
炎天の城や雀の嘴
(はし)
光る
秋の航一大紺圓盤の中
北海道旅中
野明りやあちらこちらへ鴨わたる
冬の水一枝の影も欺かず
降る雪や明治は遠くなりにけり
於鶴見
總持寺
斷食
我と軍人寒夜の生徒統べて寢る
同
北窓も寒夜の音も遠し遠し
萬緑の中や吾子の齒生え初むる
『銀河依然』
兼六公園
にて
梢ごし旅に見下ろす運動會
芝山湖にちかく街道に沿ひて首洗池 なる小池あり。
齋藤實盛の首級を得たる手塚太郎光盛、そが相貌
は實盛なるに頭髪黒きを怪みて此池に洗ふに、む
ざんにも白髪あらはれきたりしとぞ。現在池中に
碑を樹つ。
青蘆が松の枯枝に丈とどく
青蘆の髪のみだれに日の光
青蘆密に齡を映す水面なし
「奥の細道」の旅に於ける芭蕉の「石山の石より
白し秋の風」の吟をのこせる
那谷寺
に詣づ。
柿落花石山への道すでに白
石山仰ぐ白き夏日の路溜
(みちだま)
り
石山の面
(おも)
に夏木の枝揺る影
芭蕉の旅路森へ抜けけん巖すずし
石山裾むかしを繋ぎ花菖蒲
我居所より程遠からぬ三鷹
禪林寺
内に、太宰治
氏の新墓あるを訪ふ。三句
春の愚者奇妙な賢者の墓を訪ふ
居しを忸怩と墓發つ鴉合歡の芽枝
南京豆墓前に噛み噛み未成年
信濃追分
淺間神社
の境内に、芭蕉の「吹きとばす
意志は淺間の野分かな」の句碑遺る。
大緑蔭中に碑巖は根を下ろす
碑巖の上に下枝太さや蝉の晝
碑巖に凭
(もた)
れうしろおそろし蝉の聲
眼つりし野分の芭蕉いまの蝉
栗林公園
にて 三句
寒水の緋鯉よきのふの癩の島よ
大名・明治三度び代かはる林泉
(しま)
紅葉
癩者見し新酒美酒飲む人も見し
歴史は胸裡に冬の屋島に木々深し
蔦温泉にて 二句
桂月晩年眼鏡さはやかなりし此所
谷湯宿屋根を繕ふひびかして
同温泉附近の桂月翁墓域にて 二句
殘暑の墓老若男女遠拜み
きりぎりす同音重ね桂月調
『母郷行』
三井寺
にて
寺清水もつれ流れて末濁らず
露の鐘鳴るとき母よ子を信ぜよ
國の勢ひは山々へ退
(の)
き蝉の寺
大津、
圓滿院
にて
羊齒多き林泉白雨突如せはし
明治帝の若かりし玉座白雨の前
探幽描くは芭蕉へ母のかくれん坊
幻住庵
址にて
蝉聲ほのぼの「三曲二百歩」一段づつ
いちめんに呼名「落穂」の松落葉
『美田』
保美の里
訪はれし人訪ひし人いま麦の縞
一寺の境内
に、保美に於て巻きたる芭蕉、越人、
杜国三吟歌仙の冒頭三句を刳りたる句碑残れり。
碑の冬苔杜国の句のみ色に流れ
四季薔薇や産後の老猫日の石に
「野菊の墓」の映画化されたものを観る。
川波さへ強きにすぎて初野菊
鳳来寺山
にて
仏法僧子泣く熱風呂すぐ埋めよ
中村草田男
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