このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
ふきとばす石も浅間の野分かな
国道18号から中山道の旧道に入ると、浅間神社がある。
浅間神社
本殿は室町時代のもので、町内の木造建築としては最古のものである。浅間大神遥拝の里宮で大山祇
(おおやまつみ)
神と磐長姫
(いわながひめ)
神の2神が祀られている。明治2年5月より浅間山の鳴動が特に激しく鎮静祈願のため同年9月明治天皇の勅祭が行われた社として有名である。
磐長姫
(いわながひめ)
神は大山祇
(おおやまつみ)
神の娘で、
木色咲耶媛
(このはなさくやひめ)
の姉。
境内にある「ふきとばす石も浅間の野分かな」の芭蕉句碑は寛政5年(1793年)春秋庵二世長翠の書で浅間焼石におおわれた追分原に野分吹くころの風情がしのばれる。
寛政5年(1793年)は、芭蕉100年忌。
軽井沢町教育委員会
軽井沢町文化財審議委員会
芭蕉句碑
婦支飛寿石者浅間能野分可哉
(ふきとばすいしはあさまののわけかな)
出典は
『更科紀行』
。
貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉は『更科紀行』の旅に出発。15日、
姥捨山
。16日、
善光寺
参拝。
坂城
、小諸、軽井沢を経て、下旬、江戸に帰る。
春秋庵二世は
常世田長翠
。一世は
加舎白雄
。
享和2年(1802年)4月3日、
太田南畝
は芭蕉の句碑を見ている。
左に禅寺あり。右に諏訪大明神あり。左に浅間道あり。芭蕉翁の句塚あり
上の方は見過しつ。下は野分哉とありしやうなり。
『壬戌紀行』
昭和11年(1936年)5月11日、
種田山頭火
は浅間神社を訪れ、芭蕉の句碑を見ている。
昭和24年(1949年)、
中村草田男
は浅間神社で芭蕉の句碑を見ている。
信濃追分淺間神社の境内に、芭蕉の「吹きとばす
意志は淺間の野分かな」の句碑遺る。
大緑蔭中に碑巖は根を下ろす
碑巖の上に下枝太さや蝉の晝
碑巖に凭
(もた)
れうしろおそろし蝉の聲
眼つりし野分の芭蕉いまの蝉
『銀河依然』
浅間神社の前に
常夜灯
がある。
池の平
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