このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


しはらくは花の上なる月夜哉

龍眼寺 から横十間川沿いに歩き、天神橋から亀戸天神通りを行く。


亀戸天神船橋屋」本店があったので、くず餅を買う。

 「 亀戸天神船橋屋 」は文化2年(1805年)の創業。創業以来200年を越える老舗である。

亀戸天神社と言えば、梅。

鳥居の左右に紅白の梅が咲いていた。


左側の白梅はうまく撮れなかった。

亀戸天神社


  亀戸天神社(HP) は天満大神(菅原道眞公)を祀る。寛文2年(1662年)道眞公の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の 太宰府天満宮 より勧請、境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営した。

菅原道眞の像があった。


像の下には歌が刻まれている。

美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある

道真が5歳の頃庭に咲く紅梅を見て詠んだ歌だそうだ。

飛梅伝説

 道眞公が太宰府京の邸宅の紅梅殿の梅に「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と歌を詠まれると、後にその梅が 配所太宰府の菅公のもとに飛んできました。

亀戸でこゝも梅飛ぶ餌さし棹    抱一

御神牛

 天神様(菅原道眞公)は承和12年(845年)6月25日御生誕になりましたが、この年が乙丑年に当り、延喜3年(903年)2月25日太宰府の配所で亡くなられた時、道眞公自らの御遺言により御遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を御墓所と定めて、その所に神廟( 太宰府天満宮 )が建立されたのも乙丑年のことでした。

元禄14年(1701年)2月25日は「聖廟八百齢御年忌」。

『江戸名所図会』


元禄十四年二月廿五日、聖廟八百齢御年忌。於亀戸御社、詩哥連誹令興行一座

梅松やあがむる数も八百所


 ところで、亀戸天神社には芭蕉の句碑があるはずだと思って探したが、多種多様の碑があって、なかなか見付からない。何度か尋ねて、やっと探し当てた。

聖廟九百年御忌句碑


しはらくは花の上なる月夜哉

出典は 『初蝉』 (風国編)。

貞亨5年(1688年)春、芭蕉45歳の句。

 亨和2年(1802年)2月25日、菅原道眞公の御神忌900年に芭蕉門下の人々が芭蕉百十年忌にあわせて建立する。四世雪中庵 完來 筆。

 芭蕉の句の他に、雪中庵祖 嵐雪 、二世雪中庵吏登、三世雪中庵 蓼太 の句が刻まれているそうだが、全く読めない。

そこで亀戸天神社に問い合わせてみた。

しはらくは花の上なる月夜哉
   芭蕉翁

錦帳の鷄世を学の戸やほとゝきす
   嵐雪

明月やそゝろに走る秋の雲
   吏登

かり初に降出す雪の夕かな
   蓼太

   島完来敬書

 句碑の背面に雪中庵 完來 、夜雪庵普成、葎雪庵午心の句が刻まれている。

松の月月の松影よもすから
   四世雪中庵完来

しら雪やをのつからなるひと夜松
   夜雪庵普成

白妙や花のあらしも松風も
   葎雪庵午心

  享和二年壬戌春二月廿五日建之 
 阿波空山白酔俳書

『広茗荷集』 に「冥加墳  本所亀戸天神 境内池ノ辺」とある。

 明和元年(1764年)、 鳥酔 は兀雨と亀戸天神社に遊ぶ。

○亀井戸社頭 八王子詞友兀雨子風谷と共にあそふ

 藤咲や一夜に出来ぬ花の丈


 明治29年(1896年)、 正岡子規 は亀戸天神社で「御神牛」を句に詠んでいる。

   龜戸

藤枯れて晝の日弱る石の牛

『寒山落木』 (巻五)

 明治34年(1901年)、 伊藤左千夫 は亀戸天神の藤を詠んでいる。

亀井戸の藤も終りと雨の日をからかささしてひとり見に来し

けならべて雨ふるなべに亀井戸の藤なみの花散らまく惜しも

 昭和33年(1958年)1月21日、 石田波郷 は亀戸天神の初天神を訪れている。

菅原道真は学問の神様。お参りしたら、多少の御利益はあったようだ。

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