このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2008年

嵯峨野〜野宮神社〜
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高尾の 高山寺 から嵐山へ。


嵐山といったら、渡月橋。


   嵐山

六月や峯に雲置あらし山

『笈日記』 (支考編)

  『三冊子』 (土芳著)にこの句、落柿舎の句也。「「雲置嵐山」といふ句作、骨折たる処」といへり。とある。

嵯峨野はテーマパークのようだった。

ほとゝぎす大竹原を漏る月夜

『笈日記』 (支考編)

元禄元年(1688年)、 其角 は野の宮を訪れている。

  野の宮 のやぶ陰にわびしき槌の音しけるを

鍬鍛冶に隠士尋ねん畑の霜
 其角


野宮神社


   野々宮

野々宮の花表に蔦もなかりけり


  『蕉翁句集』俳諧一葉集』 にも芭蕉の句としているが、 『皮籠摺』 (涼莵編)に 涼菟 の句として収録されている。

   野ゝ宮の鳥居に蔦もなかりけり

蓼云、此句涼菟句撰に出たり。貞享記行見合へし


元禄13年(1700年)、 服部嵐雪 は野宮神社に参詣している。

のゝ宮にまいりて、

   嵯峨中のさびしさくゝる薄かな


明和8年(1771年)、 加舎白雄 は野々宮を訪れた。

野々宮

 秋風や虫の髭ふく二はしら

白雄は野々宮から 広沢の池 へ。

安永3年(1774年)4月、士朗は 蕪村暁台 等と共に嵯峨に吟行。

嵯峨吟行
  
   みしか夜の闇より出て大井川
   蕪村

   筏踏て鮓桶あらふ女かな
   几菫

      雅因か苑在樓に眺望して

   みとり深く夕雨めくる嵐山
   曉臺

   夏の山たゝ岑丸く成にけり
   宰馬

   小倉山鹿の子やわたる路の欠
   士朗

   桐咲て嵯峨にあてなる色香哉
   仝


野宮神社は『源氏物語』ゆかり地。

たはやすく御心にまかせて参でたまふべき御住み処にはたあらねば、おぼつかなくて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御なやみにはあらで例ならず時々なやませたまへば、いとど御心の暇なけれど、つらきものに思ひはてたまひなむもいとほしく、人聞き情なくやと思しおこして、野宮に参でたまふ。

『源氏物語』(賢木)

その風情は感じられない

明治38年(1905年)9月20日、 長塚節 は嵯峨を散策している。

   導かれて近傍の名所を探る、野々宮

冷かに竹藪めぐる樫の木の木の間に青き秋の空かも

落柿舎 へ。

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