このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
佃島
〜住吉神社〜
東京メトロ有楽町線月島駅を出て、佃島へ。
佃島は江戸と東京が入り交じった所。
手前に釣り船、背後に高層ビルが建ち並んでいる。
屋形船
右に住吉神社、後に聖路加セントルークスタワーが見える。
海鵜
(うみう)
がいた。
藤が咲いていた。
住吉神社
住吉神社は
鷲神社
、
下谷神社
等とともに
下町八福神
のひとつ。
住吉神社
住吉神社は江戸初期に摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1646年)に現在地に創建された佃島の鎮守です。
当社は創建以来佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から篤い信仰を受けてにぎわいました。
正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年(1882年)6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁
(たかひと)
親王です。
住吉神社の扁額
榎本其角
は佃島の住吉神社を詠んでいる。
名月やこゝ住吉のつくだ嶋
『五元集』
『韻塞』
には「
月影やこゝ住よしの佃島
」とある。
佃島にあり。祭る神、摂州の住吉の御神に同じ。神主は平岡氏奉祀す。 正保年間摂州佃の漁民に、初めてこの地を賜はりしよりこゝに移り住む。 本国の産土神
(うぶすな)
なる故に分社してこゝにも住吉の宮居を建立せしとなり。(摂州佃村は、西成郡にあり。『古今集』にたみのゝ島とよめるはこれなり。かしこにも住吉明神の宮居ありて、神功皇后三韓征伐御帰陣の時、その地に御船の艫綱をかけ給ひしより已降
(このかた)
佃村の地に御船の鬼板を伝へ、いつき祭る事、千有余年なりといへり。当社はこの分社たり。)毎歳六月晦日名越祓修行あり。(例祭は毎歳六月廿八日・廿九日両日なり。人々群集す。)
逍遥院実隆公住吉奉納和歌十首の題を詠じて奉りし中に
江上月
戸田茂睡
この浦の入江の松に澄む月のみなれそなれて幾秋かへむ
名月やこゝ住吉のつくだじま
其角
『江戸名所図会』
(住吉明神社)
住吉神社の藤棚
元文2年(1737年)5月20、
佐久間柳居
は江戸を立って箱根に向かう途中、住吉神社を遥拝している。
遊びよし爰住吉のよし雀
麥阿
『夏山伏』
遊ひよしこゝ住よしのよし雀
『柳居発句集』
天明2年(1782年)、
加舎白雄
は大来と佃島に遊ぶ。
佃 にあそぶ二句
春の夜や船にたく火も篝かと
大来
はるの海月なき宵も朧なる
白雄
『春秋稿』(第二篇)
加舎白雄は他にも佃島で句を詠んでいる。
佃島にて
夜の灯やここすみよしも蜀帝魂
(ほととぎす)
『春秋稿』(第八編)
岩間乙二も句を詠んでいる。
佃 島
親もたぬ舟のねづみやあきの風
『乙二句集』
佃島渡船跡
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