このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
鷲神社
〜樋口一葉〜
東京メトロ日比谷線三ノ輪駅から国際通りを行くと、鷲神社前に
鷲神社
(HP)がある。
鷲神社は
住吉神社
、
下谷神社
等とともに下町八福神のひとつ。
鷲神社は酉
乃
市起源發祥
乃
神社。
鷲神社御社殿
浅草名所七福神の寿老人をお祀りしているそうだ。
榎本其角の句碑
があった。
春をまつことのはじめや酉の市
出典は不明。
正岡子規の句碑
もあった。
雑閙や熊手押あふ酉の市
『俳句稿』(明治三十二年 冬)に収録の句。
また鷲神社は
樋口一葉
ゆかりの地である。
年毎に昔の面影を失いつつある町のたたずまいを見聞きするにつけ、その当時の事どもを偲び後世に伝えんと此に明治文壇の閨秀作家樋口一葉の「たけくらべ」の一節、又書簡文を刻して残す。「たけくらべ」は一葉が竜泉寺町に住みし明治26年(1893年)7月より明治27年の4月まで10ヵ月間の見聞きした事を書きしものである。文中の鷲神社酉の市の描写は、市の様子を卓越した文章にて記している。また、樋口一葉玉梓
(たまづさ)
乃碑は、師半井桃水に宛てた未発表の書簡文である。
「塵中につ記」に一葉は明治27年3月26日に桃水を訪ねたと記されているが、この書簡はその直后のものであろう。〝君はいたく青みやせてゐし面かけは何方にか残るへき〟とにつ記にも記してあり、書簡の行間にも一葉の心が滲みでているやに推われる。
此に樋口一葉歿後百年を前にし、更に平成癸酉五年の酉年を記念し、若くして逝った一葉の文才を称え、その事跡を永く伝えんと神社ゆかりの文学碑、玉梓乃碑を建立する。
平成五年十月吉日
鷲 神 社
樋口一葉文学碑
此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ、地維かくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、中之町の通りは俄かに方角の替りしやうに思はれて、角町
(すみちやう)
京町處々のはね橋より、さつさ押せ押せと猪牙
(ちよき)
がゝつた言葉に人波を分くる群もあり、 河岸の小店の百囀
(もゝさへ)
づりより、優にうづ高き大籬
(おほまがき)
の樓上まで、絃歌の聲のさまざまに沸き來るやうな面白さは大方の人おもひ出でゝ忘れぬ物に思すも有るべし。
『たけくらべ』(14)
樋口一葉玉梓乃碑
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