このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下 町
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下谷神社〜子規の句碑〜

上野駅から浅草通りを行くと、稲荷町の手前に下谷神社があった。


下谷神社


下谷神社は 住吉神社鷲神社 等とともに 下町八福神 のひとつ。

 天平2年(730年)、上野の忍ヶ岡に創建されたと伝えられる。寛永4年(1627年)、 寛永寺 の建立のため山下に移された(現在の岩倉高校あたり)。しかし土地が狭く、延宝8年(1680年)に広徳寺前通り(現在の浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。

 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」・「下谷惣社」などとよばれた。稲荷町という地名も、本社に由来する。江戸時代には開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。

寄席発祥の地


寛政10年(1798年)、江戸で始めて寄席が行われたそうだ。

子規の句碑 があった。


寄席はねて上野の鐘の夜長哉

『寒山落木 巻五』(明治二十九年 秋)に収録の句。

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