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私の旅日記2007年

法明寺鬼子母神〜小林一茶〜
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豊島区雑司が谷2丁目に法明寺 鬼子母神 (HP)がある。


 永禄4年(1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣山村丹右衛門が 清土の地 辺りから鬼子母神を掘り出し、星の井で清め東陽坊という寺に納めた。

東陽坊が現在の法明寺鬼子母神である。

法明寺鬼子母神


天正6年(1578年)5月3日、建立。

日蓮宗 の寺である。

拝殿と幣殿は元禄13年(1700年)に建立された。

 雑司ヶ谷鬼子母神は 入谷の鬼子母神 と市川市中山の 正中山法華経寺 とともに江戸三大鬼子母神だそうだ。

雑司ヶ谷鬼子母神は鬼の字の上の角が無い。


 鬼子母神像は鬼形ではなく、菩薩形のお姿をしているので、とくに角がつかない鬼の字を用いているという。

佐久間柳居は鬼子母神に句を奉納している。

手廻しや千人の子の衣かえ


 文化5年(1808年)5月25日、小林一茶は 草津 に向かう途中で雑司ヶ谷の鬼子母神に旅の安全を祈る。

廿五日 曇 草津道の記

 卯一天(点)に久松丁を立て、糀町なる河内屋武兵衛と云ふ人を誘て、同行四人、雑司ヶ谷にかゝる。皆々行末の安堵ならんことを鬼子[母]神に祈る。

   顔ぬらすひたひた水や青芒(すすき)

 霖雨の潤ひに土ぬかりて、歩行心にまかせず。

   ぬれ臑(すね)にへたとひゝつく藪蚊かな


 文化14年(1817年)8月17日、国学者高田与清は鬼子母神に詣でている。

○おとはの ごゝくじ のくわんおん・ざふしがやのきしも神 などにまうでゝ、しひなまち・長崎・かみいたばしなどいふ所をすぎゆく。


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