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俳 人

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稲津祇空

『烏絲欄』

 大坂の人。初号青流。後、敬雨。庵崎居士。有無庵。石霜庵。江戸浅草を中心に活躍。

稲津氏、青流洞祇空居士ナリ、石霜庵、初敬雨ト云、信徳門人高弟ナリ。一日深川八幡に詣、末社末社順禮し侍る中新敷一社有、祇敬靈神トアリ、稲妻宮トアリ、雷キタルニテ敬雨トツキタルナリ。

『蕉門諸生全伝』 (遠藤曰人稿)

  松木淡々 の手引きで東下。紀伊国屋文左衛門の手代をしていた頃、 榎本其角 から俳句を学ぶ。

 元禄7年(1694年) 10月12日、芭蕉は大坂で亡くなる。祇空は 之道 から知らされる。

 元禄8年(1695年)、 『住吉物語』 (清流編)。

 元禄14年(1701年)、江戸に移住。

 宝永4年(1707年)2月23日、祇空は其角を訪れて両吟。これが其角辞世の句となった。

ことし二月三十日はからすももとの泉にかへる倦情よる事なく夢のうちのゆめのことしまさに誹灯の光をうしなふ余多年莫逆のちなみをなすこの月廿三日宝晋斎に膝をいたき両吟もよほしけるに

   春暖閑炉に坐の吟とて

鴬の暁寒しきりきりす
   其角

 筧の野老髭むすふ儘
   同

若草に普請の御諚哉やらん
   清流

 浅黄しらへの匂ひかくれて
   同

一席亥の刻に晋子ねふたきけしきにてわかれぬこれそおさめの吟なり


 宝永4年(1707年)2月30日、 其角 は47歳で亡くなる。

 宝永4年(1707年)10月13日、 嵐雪 没。

   悼 嵐雪居士

なけく子も妻もなき野の霜嵐


 宝永6年(1709年)、大和旅行。

 正徳元年(1711年)、隅田川のほとり 庵崎 に有無庵を結ぶ。

   庵崎の庵をしつらひし時

身の程を見るや冬菜の青鵐


 正徳4年(1714年)10月21日、難波に帰る途次 早雲寺 住職柏州和尚を戒師として 宗祇 墓前で剃髪して祇空と改号、記念集 『みかへり松』

早雲寺本堂


   十月廿一日於相州早雲寺
   宗祇墓前剃髪

我影もかみな月なり石の上


 正徳5年(1715年)、難波から東武に帰る。

 享保元年(1716年)4月、江戸を発ち野州那須烏山の常盤潭北を訪ね、共に奥羽を行脚。9月13日、江戸に戻る。

祇空と潭北は桑折の俳人 馬耳 の欖翠軒に宿泊している。

丙申の夏予奥羽行脚の痩キョウをとゝめてこの清亭にやとる


象潟 を訪ねた。

象潟


象潟芭蕉翁有合歓花句仍次末字

 水清浅照沙   象潟書横斜

 樹半含秋怨   感情二月花

   蚶満寺島は一瓶の花形に似たり

胴じめに秋の花それ蚶満寺

腰たけや初汐こしの蜆取
   武陵青流洞
祇空

『旅客集』 (第2冊「呂」)

 享保元年(1716年)8月15日、 山口素堂 は葛飾で没。75歳。

   悼 素堂翁

みの虫みの虫錠に鈷浮き水の月


 享保2年(1717年)、 『烏絲欄』 (青流洞祇空編)刊。

 享保4年(1719年)、京都紫野に移住。敬雨と改める。

   紫野にすめと清心庵に
   侍りし時

鐘に居てすまてや人も梢の柚


 享保8年(1723年)、千那死去。

誰夢に僧を孕かむめの風
   敬雨

此一句は滅後の今を訪はれける追福の吟也
奠章の次手あれは爰に并へぬ


 享保13年(1728年)3月21日夜、祇空は 千代倉家 を訪れて2泊している。

三月廿二日 晴天昼より西風強 昨晩京紫野祇空坊来り泊ル。今昼山へ夕引蕎麦切振廻。

米踏と咄すや春の深見ぐさ
   祇空

 竹葉に当つ山吹の水
   長羽

野原ハ今緞子と霞らん
   キ世

三月廿三日 曇 祇空坊発足。池鯉鮒駕五郎兵衛、作右衛門送せる。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保14年(1729年)8月23日暮、祇空は千代倉家を訪れて2泊している。

八月廿三日 曇 紫野祇空坊登ル。暮テ着り泊ル。

八月廿四日 曇時々晴 祇空坊逗留蕎麦切振舞。

八月廿五日 曇 祇空坊宮迄駕にて送る。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保15年(1730年)10月29日、祇空は江戸に下る途中で千代倉家に立ち寄る。

十月廿九日 晴 祇空江戸行立寄。夕飯振廻。

『千代倉家日記抄』(蝶羽日記)

 享保16年(1731年)、再び早雲寺を訪れ、境内に石霜庵なる草庵を結んで、宗祇の墓守として晩年を送った。

享保18年(1733年)4月23日、没。享年70歳。

『くち葉 下巻 (戸外編)

富岡八幡宮 に「稲津祇空碑」がある。


門人に自在庵 祇徳 がいた。

佐久間柳居 は祇空の墓に詣でている。

   早雲寺 祇空墓

千年の墓かと見えて散松葉

   敬雨一周忌

若葉古葉撰るも誠そきり樒


祇空の句

しうとめも嫁も出たり金毘羅会


しら川なる柴山と云冨屋にやとりて折ふし煮酒するを見て

青流洞
しら川の澄よきはこれ煮酒哉
   祇空


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