このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

下 町江東区


富岡八幡宮〜花本社〜

東京メトロ東西線門前仲町を下りると、 深川不動尊 がある。


深川不動尊の東に 富岡八幡宮 (HP)がある。


御祭神は応神天皇(誉田別命)外8柱。

「江戸最大の八幡様」だそうだ。

寛永4年(1627年)、永代島に創建。

永代島八幡宮とも呼ばれていた。

   永代島八幡宮奉納

汐干也たづねて参れ次郎貝

親にらむ比目を踏ん汐干哉

紀國の鯛釣つれて汐干かな


富岡八幡宮境内に伊能忠敬像があった。


 寛政12年(1800年)閏4月19日(陽暦6月11日)、55歳の 伊能忠敬 はこの地から全国測量の旅に出発しました。

平成13年(2001年)10月吉日、伊能測量200年を記念して建立。

八つの末社


左側に「花本社(はなのもとしゃ)」と祖霊社に合祀されている。

 「花本社」の御祭神は松尾芭蕉命で、寛政年間(1789〜1800年)、当時の俳人有志により建立された。「花本」は、西行の「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌にちなんだものともいわれるそうだ。

 天保14年(1843年)、芭蕉百五十回忌に 田川鳳郎 は二条家に請願し、芭蕉に「花本大明神」の号が贈られた。

祖霊社は富岡八幡宮の歴代祖霊が祀られている神社。

弁天池の畔に 平花庵雨什 の句碑があった。


   月雪花のながめはさらなり

奥深しほととぎすにも富ヶ岡

享和3年(1803年)8月、春蛾書。

文化10年(1813年)12月、雨什は74歳で没。

大島完来 の句碑もあった。


花のやよひ一日はなのなくもかな

文政5年(1822年)2月、建立。五世雪中庵 対山 書。

永昌五社稲荷近くに「稲津祇空碑」があった。


抑当社稲津乃神霊はもと猪名津氏にして漢織呉服の神臣に続せり。星うつり霜を累て爰に青流洞祇空、別名敬雨、其志閑雅に隠逸の子也。生涯を風月にゆたね、吾朝の勝地あそはさる所なし。杖頭に日月を挑け、破笠に青天を戴く。花に□し、月に嘯き、天然を楽み、非常の人といはんもむへなり。此道を好む人、祇敬霊神と崇む。神魂近く在して、これを敬せさらむやと。爾云。給事中範昌詞之。

碑陰に「門人 石文綸謹謄写」とある。

範昌は長谷少納言平範昌。石文綸は神田在住の和泉屋弥七。

 かつては石尊山(富士塚)の側にあった 祇空 を祀る稲津祠のもので、祠は絶えて本碑のみ残ったという。

遠藤曰人 は富岡八幡宮に詣で「稲津祠」を見ている。

祇空 稲津氏、青流洞祇空居士ナリ、石霜庵、初敬雨ト云、信徳門人高弟ナリ。一日深川八幡に詣、末社末社順禮し侍る中新敷一社有、祇敬靈神トアリ、稲妻宮トアリ、雷キタルニテ敬雨トツキタルナリ。

『蕉門諸生全伝』 (遠藤曰人稿)

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